鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

渋澤敬三著「祭魚洞雑考(さいぎょどうざっこう)」から

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渋澤敬三著「祭魚洞雑考(さいぎょどうざっこう)」から

【アチックミュージアム

渋澤家の屋根裏(やねうら)にしつらえた私設博物館。そこに集う若き民俗学者たちの息吹から主宰者としての使命感と緊張感が伝わってくる。

そのときの心情を中国の詩人陶淵明(とうえんめい)の帰去来辞を用いて吐露している。

悟己往之不諌知来者之可追

(已往(いおう)の諫(いさ)むまじきを悟り來者の追う可(べ)きを知る)

※(いままで生活のために心を犠牲にしてきたが、これからは来者や自分のために未来を生きよう)ーということか。知らんけど!(^^;)!。

1935年(昭和10年)7月30日。民族学博物館を開設する2年前のことである。

1934年(昭和9年日本民族学会を設立し、理事となる。

1937年(昭和12年) - 保谷民族学博物館を開設し、アチック・ミューゼアムの資料を移管する。

ところがバンカーとして忙殺されることになる。

1941年(昭和16年) - 第一銀行副頭取就任。

1942年(昭和17年) - 日本銀行副総裁就任。

1944年(昭和19年) - 日本銀行総裁就任

それにしても文字が小さく、旧字体が多い。いちいち辞書を引くからなかなか進めん!(××)!。

ひと塩一晩寝かせて絶品ツマミ

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サヨリちゃん じゃじゃじゃん

遅くなってごめんね

サヨリちゃん じゃじゃじゃん

遅くなってごめんね

キミの好きな花は花は~~♫

 ※ホントは悲しい唄なんじゃけどね!(^^;)

この唄、若者は知らんだろう。

1967年にヒットしたというから55年前だ。

三木克彦「花は遅かった」

いやいや、そういう話じゃない。

サヨリちゃんはチョイと塩をして一晩ほど冷蔵庫で寝かせると

絶品のツマミになるよ。

www.youtube.com

 

初詣は光市の石城神社

 

光市塩田地区にある須賀社に初詣で。祭神は素盞嗚尊(スサノウ)ノミコト) 大歳神(オオトシノカミ) 御年神(ミトシノカミ)。出雲国肥河上の須我神社(島根県大原郡大東町須賀)より勧請とある。

大正2年(1913)石城(いわき)神社が県社に昇格したとき、末社御旅の宮となった。

真向いの石城(いわき)山に本社石城神社がある。本殿は国の重文に指定されている。社伝によると敏達天皇3年(574)の鎮座と言われ、天皇の勅額と伝えられる「石城宮」も保存されている。

ここはかつて幕府の第二次長州征伐のとき、毛利藩が第二奇兵隊を組織しその屯所(本部)置かれたところ。

石城山県立自然公園の中心となる山。別名は西ノ富士と呼ばれ、中国百名山のうちの1つである。

 

 

「オヤっと思ったら撮れ」

年明け二日目になりますと、多少気持ちに余裕が出てきます。年末は駆け込みながら倒れ込み、年が明けるとやれやれと。お屠蘇のお陰で腑抜けとなり、今年の目標など建てる余裕もありません。

さあ、今年は何を目標に建てるかと。まずは足をこれ以上悪化させないようにいたわりつつ、様々な土地のさまざまな風景を記録していきたいと思っております。年をとりますと、目の前のひとつひとつが歴史的な瞬間のようにいとおしくなります。

「オヤっと思ったら撮れ」

これは宮本常一先生の言葉ですが、なかなかできません。オヤっと思ったらジッと見てたということがほとんどです。皆さんもあるでしょう? 美味しい料理を食べた後、アッ撮るの忘れてたって。でも撮る人は撮るんです。これは性分でしょうかね!(^^;)!。

一年に一度、原点に立ち還るために宮本常一先生の言葉を改めて聞くようにしています。NHKアーカイブが貴重な生の声を収録し、公開しています。

www2.nhk.or.jp

今年最初の書物 渋澤敬三「祭魚洞襍考 」

 

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【渋澤敬三「祭魚洞襍考(さいぎょどうざっこう)」】

今年最初の書物「祭魚洞襍考(さいぎょどうざっこう)」著者渋澤敬三。今年はNHK大河ドラマ渋澤栄一に光が当てられ、その孫である渋澤敬三も今話題の人となっています。

祖父栄一氏の後を継ぎ、日銀総裁をつとめ戦後最初の大蔵大臣をつとめました。一方、日本を代表する民俗学者でもあり周防大島出身の宮本常一先生の師でもあります。

僕が最初にこの方の名を知ったのは、ノンフィクション作家佐野眞一さんが書いた「旅する巨人」。宮本常一先生の生来と後に民俗学者へとつながっていく過程で、強烈な印象を受けたのが渋澤敬三氏でした。むしろ宮本先生と同等、いやそれよりも魅力的に感じたほどでした。

本書は 1954年(昭和29年)9月20日に発行されています。ただし、単行本としては1933年(昭和8年)に刊行されています。本書はいまから67年前ですね。氏(1896-1963)58歳の時に発行されています。大きくは二部構成になっていて一部は水産民俗学、二部は「犬歩當棒録」。犬も歩けば棒に当たる。日銀総裁から大蔵大臣に至るまで、あった人や出来事を交えて書かれていていわば随筆。面白いです。最終ページに記された発行元。印刷所が佐野真一となっていてギョ(⊙⊙)!! 作家佐野眞一さんの眞とは一字違い。

ちなみに、祭魚洞とは渋澤敬三の雅号。雅号(がごう)とは、書家・文人・画家などが、本名以外につける風雅な名前のこと。祭魚はカワウソを意味し、魚を捕らえてもすぐには食べずにおくという故事。雅号は自らの書斎をカワウソの巣になぞらえて祭魚洞書屋としていたことに由来。

日本酒の獺祭を思い浮かべた人も多いでしょう。獺もカワウソと読み、獺が捕らえた魚を岸に並べてまるで祭りをするようにみえるところから、詩や文をつくる時多くの参考資料等を広げちらす事をさします。(蔵元旭酒造のホームページから)

一枚目の写真は薩南十島巡行記念(昭和9年5月)。この中に宮本常一先生もいると思うんですが、どこでしょうね? 

十島(としま)

昭和30年代 真珠の養殖が行われていた

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僕は1956年(昭和31年)生まれ。昭和30年代には、この沖家室で真珠の養殖がおこなわれていた。加工場は旧小学校のすぐ近くのお宅だった。そこを屋号でイシブさんと言った。

前海はアコヤガイを養殖するイカダが組まれていた。それは僕が高校生の頃まで続いていたと思う。付近をテンマで釣りをしていると、イカダによく吸い込まれて抜け出すのに苦労した。付近はデンゴが群れていた。

小学校の校庭の突端に波止があり、その付け根あたりにアコヤガイの貝殻が積まれていた。その前に鉄棒があり、遊びながらアコヤガイの投げっ子したりして遊んだ。その隙間から小粒の真珠が転がっていて、それも珍しくない数であった。今思えば拾って取っておけばよかった。

その真珠だけど、島ではそう珍しくないものだった。この島には瀬戸貝がたくさん獲れる。その中の在来の大型瀬戸貝は20センチ以上にもなる。その瀬戸貝にも割と高い確率で天然の真珠がみつかる。たまに黒い真珠がある。実は料理の邪魔でもあるし、口の中でガジっと噛むこともある。小さな種類のイガイにはないように思う。

さて、アワビにも真珠がいたとは驚いた。アワビは巻貝の一種とは知らなかったが、一枚貝の中によく収まっていたものだ。

話しは変わるが、アコヤガイの身はえぐいので食べられない。タチガイ(たいらぎ)もそうだが、貝柱は旨い。家のおつかいでイシブさんへ買いに行かされたものだ。たしかドンブリ一杯くらいが200円だったと思う。刺身も旨いが、母がかき揚げをよく作ってくれた。刺身よりもコッチの方が好きだった。

宮本常一先生が東和町誌の中に、東和町内で真珠の養殖をおこなっていた記述がある。沖家室や地家室の真珠養殖には触れていないが、森や和田や小泊でも行われていたようだ。各地区の友人たちからの話によると、鳥羽などから来た人たちによって周防大島一円で養殖が行われていたようだ。

news.yahoo.co.jp

年明けそば!(^^;)!

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ネットでつながる皆さん

明けましておめでとうございます

画像は今朝の食事です

おかしいでしょ

きのうの大晦日

注文いただいた牡蠣を配達し

買い物から帰宅したら夕方

ちょっと休憩のつもりでかる~く一杯ひっかけたら

そのまま二杯三杯…

そしていつのまにか寝てしまい

気がついたら年が明けておりました

(ง `▽´;)╯ハッハッハ!!。

台所には年越しそばの用意をしていたのですが

それが今朝になってしまい

年越しそばが

「年明けそば」

 が~~~ん!(××)!

せめてお餅を入れて正月気分

まあ そんなこんなで年が明けました

今年もよろしくお願い申し上げます