この地区で管弦祭がいつころから行われたかは定かではありませんが、
大積港から神輿が御座船に載り、
小積地区からお迎えの船が出て
海上で相まみえた後、
両地区の中ほどにある厳島神社に
神輿が奉納されるという行程は、
本家本元の安芸の宮島の管弦祭に習ったもののように思えます。
大積港から神輿が御座船に載り、
小積地区からお迎えの船が出て
海上で相まみえた後、
両地区の中ほどにある厳島神社に
神輿が奉納されるという行程は、
本家本元の安芸の宮島の管弦祭に習ったもののように思えます。
御座舟と、化粧船とも言える提灯に彩られた両船は
さながら平安の時代絵巻のようでした。
さながら平安の時代絵巻のようでした。
周防大島ではもうひとつ
管弦祭がおこなわれた下田(したた)地区があります。
道の駅にほど近い、
今は陸続きにになっていますが、
生島(いきしま)にも地元で言う宮島様があります。
直接みてはいませんのでレポートはできませんが、
ここは大積・小積よりも古く、
さらに安芸の宮島の厳島神社よりも古いもののようです。
管弦祭がおこなわれた下田(したた)地区があります。
道の駅にほど近い、
今は陸続きにになっていますが、
生島(いきしま)にも地元で言う宮島様があります。
直接みてはいませんのでレポートはできませんが、
ここは大積・小積よりも古く、
さらに安芸の宮島の厳島神社よりも古いもののようです。
宮島様は西の方からやってきたと言われ、
地元での言い伝えによれば、
平郡島に宮島様が辿りついたが七つの浦を求めたものの
ここには六つの浦しかなかったので
ここはイヤだと出て行ったそうです。
平郡島ではその宮島様をおまつりしていたところをイヤの谷と呼んでいるそうです。
地元での言い伝えによれば、
平郡島に宮島様が辿りついたが七つの浦を求めたものの
ここには六つの浦しかなかったので
ここはイヤだと出て行ったそうです。
平郡島ではその宮島様をおまつりしていたところをイヤの谷と呼んでいるそうです。
その後宮島様はこの周防大島の生島に着き、
一休みしていたら島が揺らいだから
「この島は生きている」と言って現在の宮島にたどりついたと言います。
そこからこの島を「生島(いきしま)」と呼ぶようになったそうです。(宮本常一著 東和町誌から)
一休みしていたら島が揺らいだから
「この島は生きている」と言って現在の宮島にたどりついたと言います。
そこからこの島を「生島(いきしま)」と呼ぶようになったそうです。(宮本常一著 東和町誌から)
壇の浦の合戦で平家は滅亡して
源氏の世を迎えましたが、
瀬戸内の津々浦々は未だ平家のご縁に繋がれているようです。
源氏の世を迎えましたが、
瀬戸内の津々浦々は未だ平家のご縁に繋がれているようです。
全身に槍や刀をまとったようなミノカサゴという魚がいます。
この魚を沖家室島ではキヨモリ様と呼んでいます。
この魚を沖家室島ではキヨモリ様と呼んでいます。
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742-2922 山口県周防大島町沖家室島
有限会社 沖家室水産
民宿 鯛の里(コイの里ではありません。タイの里です。タ・イッ!! )
0820-78-2163 松本昭司
shouji@d3.dion.ne.jp
★島のお買いもの便 http://www.d3.dion.ne.jp/~shouji/okaimono.htm
★「よう来たのんた沖家室」http://www.h3.dion.ne.jp/~kamuro/
★鯛の里HP http://www.d3.dion.ne.jp/~shouji/tainosato.htm
742-2922 山口県周防大島町沖家室島
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