鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

大積・小積地区 厳島神社の管弦祭

昨夜(7/24)は旧暦6月17日にあたることから十七夜(じゅうしちや)と呼ばれ、
周防大島町大積・小積(おおつみ・おつみ)地区の厳島神社で管弦祭がおこなわれました。
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この地区に厳島神がまつられたのは今から約180年前の天保年間と言われています。
12代将軍徳川家慶(いえよし)の時代ですから、
そう古くはありません。
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もともとここには産土(うぶすな)神がなかったことから、
沖家室島の属島の大水無瀬島にまつられていた厳島神を迎えたといいます。
この地区で管弦祭がいつころから行われたかは定かではありませんが、
大積港から神輿が御座船に載り、
小積地区からお迎えの船が出て
海上で相まみえた後、
両地区の中ほどにある厳島神社
神輿が奉納されるという行程は、
本家本元の安芸の宮島の管弦祭に習ったもののように思えます。
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御座舟と、化粧船とも言える提灯に彩られた両船は
さながら平安の時代絵巻のようでした。
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周防大島ではもうひとつ
管弦祭がおこなわれた下田(したた)地区があります。
道の駅にほど近い、
今は陸続きにになっていますが、
生島(いきしま)にも地元で言う宮島様があります。
直接みてはいませんのでレポートはできませんが、
ここは大積・小積よりも古く、
さらに安芸の宮島厳島神社よりも古いもののようです。
 
宮島様は西の方からやってきたと言われ、
地元での言い伝えによれば、
平郡島に宮島様が辿りついたが七つの浦を求めたものの
ここには六つの浦しかなかったので
ここはイヤだと出て行ったそうです。
平郡島ではその宮島様をおまつりしていたところをイヤの谷と呼んでいるそうです。
 
その後宮島様はこの周防大島の生島に着き、
一休みしていたら島が揺らいだから
「この島は生きている」と言って現在の宮島にたどりついたと言います。
そこからこの島を「生島(いきしま)」と呼ぶようになったそうです。(宮本常一東和町誌から)
 
広島の安芸の宮島とその玄関口である宮島口を結ぶ宮島航路
船名が「七浦丸(ななうらまる)」とうのもなるほどですね。
 
平清盛が建立した安芸の宮島 厳島神社
それよりももっと古い時代に周防大島で宮島様を迎えていたとは、
なんだか感慨深いものがありますね。
 
壇の浦の合戦で平家は滅亡して
源氏の世を迎えましたが、
瀬戸内の津々浦々は未だ平家のご縁に繋がれているようです。
 
全身に槍や刀をまとったようなミノカサゴという魚がいます。
この魚を沖家室島ではキヨモリ様と呼んでいます。
 
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宮内で直会(なおらえ)です。宮司さんはじめ宮総代さん、お疲れさまでした。来年もまた来ます。
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