鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)行方は!(^^)?

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三種の神器 Wikiから

きょうは天皇即位の日なので祝日だったんですねえ。忘れておりました。この無礼者ーー!(××)!。

テレビを観ておりますと「形代(かたしろ)」という言葉がでてきました。複製ですが、分身という意味付けもされているようです。

天皇の代替わりのときに代々伝わる三種の神器があります。

八咫鏡(やたのかがみ)
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)

僕は神話が好きでしてね!(^^;)!
よくできたお話であります。

三種の神器の詳細は置いといて、周防大島に関係することだけ。

壇ノ浦の合戦で平家の大将をつとめたのは平知盛。この周防大島の船越・外入にまたがる小高い山を城山(じょうやま)といいます。ふもとには城山小学校があります。城山の名のとおり、知盛様のお城がありました。ただの砦でではなく、お住まいになった居城です。源平最後の決戦を控えた大将の最後の居城です。

下関の関門海峡 壇ノ浦の合戦では、平家は幼い帝(みかど)の安徳天皇を擁しておりました。そして三種の神器のひとつでもある天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)もそこにありました。

平家物語によりますと、平家の劣勢が明らかになると、平清盛の妻で安徳天皇の祖母でもある二位尼(にいのあま)は安徳天皇を抱えたまま腰に天叢雲剣を差して海に身を投げたと言われています。なんとも哀しいことです。

その剣はどうなったか。それは今もわかりません。朝廷は優れた海女を集めて海を探したそうですが見当たらなかったそうです。

陰陽師に占いをさせたところ、安徳天皇竜神ヤマタノオロチの化身であり、海に持ち帰ったのであると説きました。

このへんが占いの面白いところでしてね。天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)というのは、日本神話では、スサノオノミコトが出雲の国で倒したヤマタノオロチの尻尾から出て来たものなんだそうです。だからこの剣はもともとの持ち主のヤマタノオロチが「これはオロチの物じゃ」と持ち帰ったのだと。陰陽師もうまく話をデッチ上げたものです。陰陽師で有名な安倍晴明(アベノセイメイ)様は源氏の世の平安時代の人ですから、のちの人ですけどね。

この天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)はまたの名を草薙剣(くさなぎのつるぎ)と言います。古代の英雄・日本武尊ヤマトタケルノミコト)が山火事で燃え盛る草の火を薙ぎ払ったことから草薙剣と言われるようになったそうです。

話は戻りますが、天叢雲剣はどこへ行ったのか。陰陽師(オンミュオウジ)ならぬ、わたくしオンショウジが考えますに、源平の優劣を決めたのが潮流と言われています。潮の流れが変わり、下流となった平家軍があっというまに滅ぼされたのです。

そしてイルカの存在。数千頭のイルカの大群が源氏軍から平家軍に押し寄せたと言います。このとき、平家の陰陽師・安倍晴信(あべのはるのぶ)が占ったそうです。

「イルカの進む方向にいる軍が負ける」と予言

しかし、イルカは方向を変えることなく平家軍に押し寄せ、大ハズレ!(××)!。

で、ワタクシが占うに、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は実はイルカが咥えてどっか持って行ったのではないかと思うのです。とても好奇心の強いイルカですからね、二位尼様が、「これはとても大事なものじゃ。そなたはイルカ? 預かってくれぬか」と懇願されて、そんなものイルカかいななどとは言わないでしょう。

さて、本日の天皇即位の儀で使われた天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は形代で、通常は熱田神宮と、皇居・吹上御所の「剣璽の間(けんじのま)」に安置されています。

きょうの「即位礼正殿(せいでん)の儀」は大雨でした。天皇家の行事にはよく雨が降るんだそうです。世を浄めるための雨でしょうか。そういえば天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)、雨の群雲の剣とも読めませんか!(^^)?

おあとがよろしいようで。

三種の神器の画像はWikiから。想像図だそうです。天皇すら観たことはないそうです。

 

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