イオンシネマ西風新都で話題のジョーカーをみてきました。後味の悪い、観たくないタイプの映画でもあり、観るに値する映画でもあり、考えさせる映画でした。
主人公の母親が、妄想や妄動をくりかえす脳疾患を持ち、その息子も脳の疾患から緊張すると笑いだすという異常行動を起こし、それも相まって親からの虐待で育つ。
突然に笑いだすことでいじめや暴力を振るわれ、それが心に深い傷を残し、ピエロに扮してして次々と殺害を起こし逃走。一方、社会では上流階級に対し、貧困層や虐げられた人たちのうっ積が破裂し、ピエロが英雄として象徴的な存在となり、暴動を行う集団がピエロの仮面をかぶり、路上にあふれる。
さて、ひるがえって、現実社会を考えたとき、テロや暴力的な犯罪は、社会の差別や貧富の差も大きな原因という。こんなとき、平和と言われた日本は果たして無関係でいられるのか。
富裕層を優遇する政治、社会保障よりも軍備増強を優先する。政治家や高級官僚などの特権階級の犯罪や不正には甘い司法。もはや日本も病理に陥ってはいやしないか。ややもするとちょっとしたきっかけでジョーカー現象が起きやしないか、作者はそれを示したかったのではあるまいか。我々はすでにオウム事件でそのことを体験した。憎悪の矛先は特定ではない。無差別ということだ。
この映画が大ヒットした背景は、多くの人が現代社会に、再びジョーカーが誕生するかもしれない危惧を抱いている証なのではなかろうか。