鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

父の命日

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きょうは父の命日。2年前のきょうでした。今年でもう三回忌です。遠い日のように思えます。

写真は2001年1月の共同通信から配信された連載企画「どっこい生きていく―高齢化率日本一の町で」で、上野敏彦記者が父の船の乗り込み撮影したものです。これが遺影となりました。

当時の記事です。

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 「カクン、カクン」…。釣り糸に振動が伝わってくると、青い海底から三十センチを超すピンクのマダイが一匹、二匹と踊るように浮上して来た。真冬にしては暖かな日差しが照りつける山口県東和町の沖家室島沖。松本春久さん(74)が瀬戸内海有数の一本釣り漁場で、伝統のフカセ釣りを始めて四十年になる。

 「国民年金に入った期間が短いから、毎日沖へ出ないと生活できんのです。でも、定年になってUターン後漁師になった人の何倍も釣果がある」と言って日焼けした顔をほころばせた。

 この季節のタイは小ぶりながらも、脂がよく乗り、特有の甘さを感じさせ、グルメに評判だが、以前ほど良い値がつかず、漁獲量減少も悩みの種という。

 戦後の一時期、ラジオの修理で生計を立てた松本さんだが、現金収入の大きいこの道へ。夜明けに一人で沖へ一・二トンの船を出し、引き網でエサのエビをとり港へ戻った後、NHKの朝の連続ドラマ「オードリー」を見てから一本釣りに出る。

 「海上で突風に遭った時ほど怖いものはない。私ら年やけん。無理しないことが長続きのこつ」と話す。

 かつて遠洋漁業の基地として栄え、ハワイや台湾への移住も多かったこの島で、沖へ出る漁師は八十四歳を最高に約五十人いるが、七十代が最も多いという。

 一九九一年秋、大型台風が襲来した時、東和町の伊崎という高齢者ばかり二十数世帯が住む集落では堤防が決壊し、ミカン畑は潮と風に洗われ、全滅した。

 「今から経験のない野菜作りで苦労するより、ミカンを作り直した方が早い。七十歳で苗を植えても七十五歳で収穫できる」。元町議で自らも栽培農家の叶井和夫さん(68)の呼びかけに、お年寄りたちは立ち上がった。東京市場で名の売れた時代もある伊崎ミカンへの強い思いからだ。

 背丈が低く、管理しやすい品種の苗木を植え、丹精こめて育てた結果、山は再び黄金色に輝くようになり、昨年の収穫量は台風襲来時の前年を上回った。八十二歳の男性もミカン山で元気に汗を流している。

 定年制がない「生涯現役の島」で、一次産業に誇りを持ちながら、夢をつなぐ人たち。後継者難はどこも同じだが、「エサに食いついたら底へ底へと逃げようとするタイとのやりとりがだいご味」と言うのはUターン組で、島で一番若い漁師の横山和明さん(48)。

 「今ならベテランの現役から直接秘けつを教わることもできる。都会では失業者が多いが、住宅や船を貸して漁師の見習いをやってもらえるような仕組みを作れば、仲間も増えるかもしれない」と話している。