鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

第二の校則

【第二の校則】

こんなこと書くと怒られるじゃろか。

校則もそうだけど、校則以上にひどかったのが生徒の上下関係。それが部活にも持ち込まれて叩くは蹴るはもはや軍隊。

高校入学式の直後に洗礼を受けた。野球部に校庭へ並ばされて、まるでヤクザの親分のような三年生に威嚇されて入部を迫られた。しかも教員室の真ん前。このころからすでに狂っていたのである。もちろん入部は拒否してテニス部に入った。

僕が3年生のときはそれほどひどくはなく、むしろそういうことはしないようにした。下級生とも仲が良かった。特に女子とは!(^^;)!。

娘が中学生の時、当時住んでいた現在の廿日市市。スーパーで買い物中にずーっと向こうにいる上級生に深々と頭を下げて聞こえるように挨拶をした。詳しく聞くと校内でも、階段の上に上級生がいるとわざわざ上がって挨拶をさせられていたというのだ。やれやれ、進歩してないな。

手帳の校則は表の顔。裏の顔には形のない第二校則がある。それがそのまま今の大人社会に引き継がれ、同調圧力のもとで個がないがしろにされてはいないか。

個人的にではあるが、部活が嫌いだった。中学に上がる前はほとんど父の船に乗るか、自分の船で釣りをしていた。それは遊びではなくて、組合に水揚げ用の口座を持ったひとりの漁師だった。夏休みはラジオ体操が終わってから暗くなるまで船に。冬はサザエやウニやアワビ、春はワカメやヒジキの収穫に忙しかった。ところが、中学・高校に上がると部活はほぼ強制で春夏冬休みなどはそれに費やされた。父も働き手を失ったのだ。僕にとっては、父の仕事を手伝う中でもっと学べるものがあったはず。今となっては多くの時間の損失だったように思える。

部活そのものを否定するつもりはない。僕のような者もいたということだ。

同級生との仲は今も続いている。

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