鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

50代半ば ゲゲゲの妖怪を訪ねた島の妖怪

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懐かしい写真をみつけた。これは10年前、みずきしげるロードを見学し、島根半島の民宿に泊まったときの一コマ。写真のあるじはワタクシではない。同行したNPOふるさと里山救援隊の代表田中照敏さんである。

妖怪ロードを歩いていて、道端の妖怪をバックに田中照敏さんの写真を撮った。それをFacebookにアップするためにポイントを顔に当てるとこなき爺の文字が浮かんだ。あゝ、やっぱりこの男は妖怪だったんだ。

写真は宿で料理をいただいたときのもの。まだ顔にシワがなく、頭も僅かだが黒い毛がある。10年前だからふたりとも50代半ば。今はふたりとも化け物である。

宿にたどり着くまでのハプニング。荒波に浸食された奇岩を横にみながら、カーナビ頼りに走った。県道から山の中を車一台通れるほどの道に迷い込んだ。これは絶対に間違いよねと話していたら、突然に鹿が現れた。デカい鹿だ。そそくさUターンをして県道へ戻った。そこに宿への案内看板があり、目的の宿は上の山ではなく下の谷だった。

谷底にポツンとある一軒家。新しい造りと古い造りの家がドッキングしていた。新しい方は金を掛けただろう造りで往時の勢いを感じさせた。山陰の海の幸満載と期待したが、それはともかく感じのいい宿だった。

大広間にはとてつもない大型ブラウン管テレビが鎮座していた。写真に収めればよかった。女将に聴くと高度成長の頃にはこの大広間が埋まるほどの宴会続きで、それは繁盛したそうだ。この巨大なテレビもカラオケで大活躍したとのこと。

そうそう、来るときに鹿をみたと言ったら、ここは「鹿谷」とも言うそうだ。

高度成長のブームは去り、今はひっそりとたたずむ。その後も繁盛していればきっとトイレも水洗にしただろう。

朝、朝食には島根らしくシジミの味噌汁があった。他も豪華なメニュー。昨晩のメニューよりも勢いがある。これに刺身があれば、イッパイ呑みたいところだ。

女将は終始笑顔だった。玄関先で別れ際「また来るからね」と言ったが、そのときすでの80歳くらいだったろうか。今、どうしてるだろう。

民宿 すぎはら