鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

デュオ「風」の大久保一久さんが亡くなった

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「22才の別れ」「君と歩いた青春」などのヒットがある、伊勢正三さんと大久保一久さんのデュオ「風」の大久保さんが亡くなった。71歳とは早すぎる。脳の血管障害を患っていたという。

風が活躍した時代は僕が20代前半だった。もう40年も前だからウチの子どもたちも知らないだろう。だけど「22才の別れ」くらいは知っているだろう。

伊勢さんはもともとかぐや姫のメンバーで、今も歌い継がれている数々の名曲の多くは伊勢正三さんがつくった曲。例えば「なごり雪」もそうだし「妹」もそう「赤ちょうちん」も。その伊勢さんが大久保さんと組み、「風」としても数々の名曲を残した。

僕の手元には今も楽譜本がある。当時らしく二人とも長髪。大久保さんは主にコーラスだったが、顔が可愛いとそっちの方がウケた。確かに遠目ではそう。だからあまりアップの写真はない。

1977年、「ほおづえをつく女」が大ヒットしたこの年。広島郵便貯金ホール(現・上野学園ホール)でコンサートが行われた。僕はチケットを求めて一番乗りで広島楽器センター(ヤマハ広島楽器店)に乗り込んだ。そして真ん前の真ん中の席をゲット。もともと音楽活動でこの店にはなじみがあってそれも有利だった。

ライブは二人だけのシンプルなもので少々物足りなかったが、数々のヒット曲に酔いしれた。伊勢さんは割と音を外す。これもやはりライブならでは。

大久保さんは元はグループ「猫」のメンバーだった。レコードも持っている。今の若者に「猫」と聞いたってわからんだろうと思ったら、民泊で泊まった高校生が「猫の『雪でした』好きです」と言ったのにはびっくりした。そうか、今の若者はネットでいろんな曲が聴けるからね。

そのコンサートの会場だけど、まわりはほとんど女性だった。お目あては大久保さんだった。大久保さんの動きにいちいちキャーキャーうるさかった。それはもうアイドルそのものだった。

改めて楽譜本をめくると、この曲もこれもとたくさんの名曲を残していた。僕の青春時代になくてはならない風の曲。

たくさんの思い出をありがとう

大久保一久さんへ

ご冥福をお祈りいたします。