鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

昭和30年代 真珠の養殖が行われていた

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僕は1956年(昭和31年)生まれ。昭和30年代には、この沖家室で真珠の養殖がおこなわれていた。加工場は旧小学校のすぐ近くのお宅だった。そこを屋号でイシブさんと言った。

前海はアコヤガイを養殖するイカダが組まれていた。それは僕が高校生の頃まで続いていたと思う。付近をテンマで釣りをしていると、イカダによく吸い込まれて抜け出すのに苦労した。付近はデンゴが群れていた。

小学校の校庭の突端に波止があり、その付け根あたりにアコヤガイの貝殻が積まれていた。その前に鉄棒があり、遊びながらアコヤガイの投げっ子したりして遊んだ。その隙間から小粒の真珠が転がっていて、それも珍しくない数であった。今思えば拾って取っておけばよかった。

その真珠だけど、島ではそう珍しくないものだった。この島には瀬戸貝がたくさん獲れる。その中の在来の大型瀬戸貝は20センチ以上にもなる。その瀬戸貝にも割と高い確率で天然の真珠がみつかる。たまに黒い真珠がある。実は料理の邪魔でもあるし、口の中でガジっと噛むこともある。小さな種類のイガイにはないように思う。

さて、アワビにも真珠がいたとは驚いた。アワビは巻貝の一種とは知らなかったが、一枚貝の中によく収まっていたものだ。

話しは変わるが、アコヤガイの身はえぐいので食べられない。タチガイ(たいらぎ)もそうだが、貝柱は旨い。家のおつかいでイシブさんへ買いに行かされたものだ。たしかドンブリ一杯くらいが200円だったと思う。刺身も旨いが、母がかき揚げをよく作ってくれた。刺身よりもコッチの方が好きだった。

宮本常一先生が東和町誌の中に、東和町内で真珠の養殖をおこなっていた記述がある。沖家室や地家室の真珠養殖には触れていないが、森や和田や小泊でも行われていたようだ。各地区の友人たちからの話によると、鳥羽などから来た人たちによって周防大島一円で養殖が行われていたようだ。

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