鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

クソまずかった給食の脱脂粉乳

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脱脂粉乳のことで思い出した。

小学校の給食で出てくる脱脂粉乳はとにかく臭くてまずかった。それもそのはず。戦後食糧難でアメリカの支援物資でもあったがバターなどをつくるため、脂を抜いたいわばカスで家畜の飼料用でもあったそうだ。処分するために日本へ送られたという説もある。高温多湿のパナマ運河を通り遠路はるばる来るのである。それが傷んだ臭みの原因だったらしい。

給食の彦由のおばちゃんが、紙袋から大鍋にバサッと移しかき混ぜていた記憶がある。それを大きなアルミのやかんに移し、教室でアルミカップに入れる。生ぬるいミルクをすするとうっすら張った幕が上唇からペロンと垂れる。これが特に嫌だった。

戦後、牛乳が市販されるようになったが売れ行きは芳しくなかったそうだ。それは脱脂粉乳のまずさが影響したとも言われている。

小学校を卒業とともに脱脂粉乳からも卒業できたと思ったら、今度は東和中学で牛乳攻めに遭った。

東和中学は昨年の春に閉校となり、55年の歴史に幕を閉じた。1966年に開校し、僕は二期生の入学生。3クラスの学年120人くらいだったと思う。

確か10時の休憩に瓶入り牛乳がひとり一本わて配られた。最初はヤッタと思ったが毎日だと重くなる。中には苦手な者やお腹を壊す生徒も出て、湯沸かし室は残りの牛乳が山積みになった。だから、もっと飲みたい生徒は飲み放題だった。部活で汗をかくとこれが飲めるのは良かった。ところがこれをイタズラするのもいた。罰ゲームで無理やり飲ませたり、飲んでいる最中に後ろ頭をポンして鼻から吹き出す生徒もいた。

しかし、卒業するまで飲んだ記憶がない。途中でやまったのだろう。

その牛乳はシモラク牛乳といった。今の県酪乳業の前身だ。乳製品の県内のトップで、そのシェアは70%ほどだそうだ。参考までに製品ラインナップを公式サイトからコピペした。スーパーなどでは御馴染である。

僕は牛乳にアレルギーがあった。今でもお腹にくるが料理などにはふんだんに使う。悪いイメージの脱脂粉乳スキムミルクといえば聞こえはいい。味も当時とは格段に違う旨さだし、よつば乳業の脱脂粉乳は今や個人的にはファンである。

そんな臭くてまずい脱脂粉乳も、実は戦後の子どもたちへの健康増進に役立った側面もあるそうだ。物事は裏と表がある。表向きは子どもたちの健康に役立ったかもしれないが、裏では児童虐待の人権侵害であったように思う。