鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

思い出の手動式パチンコ台

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たとえコロナでもパチンコだけはやめんぞ!! 

いつも行く柳井のスーパー横にあるパチンコ店は今も満車だ。そんな業界もコロナや半導体不足の影響などで市場が縮小しているという記事。

高校を卒業して広島へ出て、まっさきに飛び込んだのがパチンコだった。まだ玉をひとつずつ入れる台だった。隣のオッサンの、玉を入れる速さとそれにあわせたバネのタイミングの妙技に驚いた。

ポイントはチューリップに入ると花が開き、そこへ集中的に攻める。うまくいけば無限のループで、玉が花に溜まると台の上のボタンを押す。すると係員がきて詰まった玉を手で流して、そのあとお詫びにと玉を3個くらい入れてくれる。釘に玉が挟まったらまたボタンを押して係を呼ぶと、手持ちの鍵穴で釘を曲げてまたお詫びにと玉を3個くらい入れてくれる。ギャンブルというよりも、競技のようだった。

20代中ごろになると、スリーセブンが登場した。7が三つ並ぶとパンパカパーン。ドル箱が一杯になると、係がやってきて箱を交換してくれて足元に積まれる。それを夢見て店内は人であふれた。手動が電動にかわり、100円玉を手元に積んでおくが、あっという間になくなった。食うか食われるか、まさにギャンブルだった。

そのうち仕事が全国を飛び回る忙しさになり、パチンコからは足が遠ざかった。30歳で退職し、まっさきに飛び込んだのがパチンコだった。退職金で金はたんまりあるからどんと来いだ。さっそくセブンが並んだ。ヤッタ。玉がどんどんたまり、箱が積みあがった。そして終了。それでも飽き足らず、隣の席に移るとまたセブンが並んだ。そこで店員がやってきた。「ちょっとお兄さん、さっきの台から移っただろ。それ、反則だよ。その分没収」。そんなルールがあるなんて知らなかった。すると隣のオッサンが「アンタ知らんかったんか」とあきれ顔。

それから島にUターンをし、30年来行っていない。島に帰ったころは、柳井への買い物ついでに近所のオジサンを乗せて大島大橋に近いパチンコ屋へ連れてった。そのオジサンたちもすでにあの世だ。今もチンジャラやってるんのかな。

また行ってみようかな。いやいや、やめとこう。凝り性なので。

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