
第20話「航太の父の船で本土へ 霧に巻き込まれる」
「なあ、明日さ、とうちゃんが本土へ海産物を卸しに行くんだ。一緒に行かないかって?」
航太の突然の提案に、ゆうたもさくらも目を輝かせた。「行く!」「行きたい!」二人の声が重なる。本土の街への期待に、胸が高鳴った。
翌朝、ようやく水平線から朝日が顔を出し始めた頃、航太の父の漁船にはワカメやヒジキといった海産物が次々と積み込まれていた。ゆうたもさくらも、航太に負けじと小さな体で手伝う。乾物なので見た目ほど重くはなく、意外と簡単に運べた。
「よし、全員乗ったな!」
航太の父の声が響き、船はゆっくりと港を離れた。航太の母も一緒。本土までの航海は約3時間。船は快調に進み、1時間ほど経った頃だろうか、波がゆっくりと、しかし確実に大きくなってきた。船は大きく沈み込み、そして高く持ち上がる。島の周辺の穏やかな海とはまるで違う。
「沖に出ると波が違うだろ。これをうねりって言うんだよ」
航太の父が教えてくれた。まるでジェットコースターがゆっくりと進んでいるような、不思議な感覚。ゆうたは、初めての体験だった。
その時、遠くから巨大な船影が近づいてきた。瀬戸内海を横断する観光船だ。その巨大さに子どもたちは思わず息をのむ。
「みんな、大きく揺れるからしっかりつかまっとけ!」
航太の父の警告通り、巨大な船が過ぎ去った直後、まるで船が突き上げられたかのような衝撃が走ったかと思うと、次の瞬間には船よりも波の方が高く、ぐんと沈み込んだ。
「わーっ!」
子どもたちの歓声が上がる。ゆうたは、ジェットコースターに乗った時と同じように、お尻の穴がキュッとすぼまるのを感じた。こんな大きな波は、ゆうたにとって初めての体験だった。

それからしばらくして、船は深い霧に包まれた。あっという間に視界はほとんど閉ざされ、何も見えなくなる。航太の父はコンパスと海図を取り出したが、周囲の山々がまったく見えないため、現在地すら分からなくなってしまった。
「みんな、前をよーく見張ってなさい」

航太の父は船のスピードを落とした。すると、けたたましい汽笛が鳴り響いた。それはゆうたも初めて聞く、空気が震えるような大きな音だった。
しばらくすると、桜が叫んだ。
「航太、船だ!デカい!」

ゆっくりと近づくと、その船の甲板から人が出てきた。航太の父が大きな声で尋ねる。
「すみません、現在地が分かりません。松山の方角はどちらですか?」
甲板の人は船内に入り、すぐに戻ってきた。
「あちらの方角です。もうしばらくすると霧も晴れると思います。お気を付けて」
航太の父はお礼を言って再び船を走らせたが、なにせ現在地が分からない。しかも潮の流れが速い瀬戸内海では、コンパス通りに南へ向かっても、潮に流されてまったく違う場所に辿り着いてしまう可能性がある。
不安な時間がしばらく続いた。すると、見慣れた島が見えてきた。
「由利島だ!間違っていなかった!」
現在地がつかめた航太の父の声に、みんなホッと胸をなでおろした。
さらに船を進めると、テンマ舟に乗った三人組と遭遇。向こうが手を振るので近づくと、顎に白い髭を生やした老人が困った顔で言った。
「今朝ほど興居島(ごごしま)から釣りに出たんですが、霧に巻き込まれてしまって…。日が昇り始めた頃はあっちが東だと分かったんですが、日が昇ってどちらが東かわからんようになってしまいました。ずいぶんと流されました」

航太の父は
「先ほど由利島を通ったので、恐らく松山はあちらの方だと思います。引っ張っていきましょう」
テンマ舟にロープを渡し、ゆっくりと進み始めた。
それから30分ほど経った頃だろうか、だいぶ霧が晴れて山の形が見えるようになってきた。
「見えました、見えました!あれが興居島の山です!」

テンマ舟の老人が叫んだ。みんなの顔に安堵の表情が広がる。島に近づくと、テンマ舟の老人が言った。
「ここまできたらもう大丈夫です。もう少し釣りをしてから帰ります。おかげで助かりました」
舟の三人は深々と頭を下げた。しばらく子どもたちも手を振って別れた。
「良かったねえ。一時はどうなるかと思ったわ。みんな、おやつにしましょう」
航太の母が差し出したのは、美味しそうなお菓子がいっぱい入ったカゴだった。「よかったね~」と、みんなに笑顔が戻った。
無事に松山の港に入ると、馴染みの問屋さんが笑顔で出迎えてくれた。
「霧に囲まれましてね、遅くなってすみません」
航太の父が言うと、問屋さんは「いやー、大変でしたね。他の船も大変だったと言っていましたよ。とにかく無事で良かった」と労ってくれた。みんなで船から海産物を下ろし、その場を後にした。
「さあ、商店街に行って買い物して、メシを食おう!」
航太の父の言葉に、子どもたちは歓声を上げた。一番の商店街は銀天街というらしい。
「東京と比べたら小さいでしょうね」
航太の母が言うと、ゆうたは答えた。
「ううん、銀座とかと比べるとそうだけど、でも小さな商店街はいっぱいあるし、でもここも素敵です」
交差点は東京でも見るスクランブル交差点で、なんだかゆうたは懐かしさを感じた。百貨店で買い物をし、もらった福引券でくじ引きを引いたさくら。鈴がカランカランと鳴り、なんと当たったのは豪華なグラスだった。
「やったー!でもこれ使うのお父さんだねー!」
さくらが大笑いすると、みんなもつられて笑った。レストランに入ると航太の父が「きょうはみんな手伝ってもらったからごちそうするから、好きなものを食べなさい」。子どもたちはお子様ランチ、航太の両親はステーキを食べた。
「うわ~、美味しかった~!」


たくさんの買い物を船に積み込み港を出ると、松山の町はずれに遊園地が見えた。
「とうちゃん、今度あそこへ行きたい!」
航太がねだると、航太の父は笑って言った。
「今回は霧で時間を取られてしまったからな。次は行こう」
帰りの航路は順調だった。子どもたちは三人そろって船の上でぐっすり。その寝顔を見た航太の母が、嬉しそうに呟いた。
「本当に三人兄妹みたい。子どもが増えて楽しいわ」

航太の両親は笑いながら、大海原を快調に走り続けた。