
「竹林の守り人テル」を再開します。神秘の世界から、現実の大地の世界を描きます。
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『竹林の守人テル』第二章
第一話 風が降りる朝
――風は、まだ吹いていた。
だがそれは、かつて竹の海を光で満たした、あの祝福の風ではなかった。
乾いた音だった。
絡み合った竹と竹がこすれ、ぎし、と低く鳴る。
夜明け前。
山の端がかすかに白みはじめるころ、テルは一人、竹林の入口に立っていた。
かつて「四つの精霊の交わる場所」と呼ばれた竹の海。
いまは、光の届かぬ濃い影が重なっている。
伸びすぎた竹。
倒れ、折れ、朽ちかけた幹。
地面には若い竹が密に生え、他の草木を寄せつけない。
テルは一本の竹に手を当てる。
テル
「……重たいのう。」
風ではない。
竹自身が、重たそうに軋んでいるのだ。
遠くで車の音が止まった。
振り向くと、山道をゆっくりと登ってくる影がある。
背の伸びた少女――ナミだった。
ナミ
「やっぱり、ここにいた。」
テル
「帰ったか。」
ナミは、以前よりも大人びた目をしていた。
肩には調査用の鞄。手にはノート。
彼女は竹林を見渡し、息をのむ。
ナミ
「……ひどい。想像以上だよ。」
テルは答えない。
ナミはしゃがみ込み、土を指でつまむ。
ナミ
「土が乾いてる。光が入らないから、下草が育ってない。
このままじゃ、雨が降ったら一気に崩れる。」
テル
「崩れるか。」
ナミ
「うん。データも出てる。竹は強いけど、管理されないと山を壊す。」
風が、ひときわ強く吹いた。
ざわ、と竹が揺れる。
だがその音は、どこか荒々しい。
テル
「竹は、悪さをしとるわけじゃない。」
ナミ
「分かってる。でも、人が放っておいた結果だよ。」
その言葉に、テルは小さくうなずいた。
テル
「神様は、守ってくれん。
守るのは、いつも人じゃ。」
その会話を、少し離れた場所で聞いている者がいた。
ゆうだった。
背は伸び、顔つきも青年のそれになっている。
胸元には、あの竹の笛。
だが、彼はそれを握らない。
ただ、竹林を見つめている。
あの夜――
風が光となり、竹が応え、空が輝いた。
世界は確かに変わったはずだった。
なのに。
ゆう(心の声)
「……どうしてだろう。」
風は、まだ吹いている。
けれど、あのときのように語りかけてはこない。
ナミがゆうに気づく。
ナミ
「ゆう。」
ゆうはゆっくり歩み寄る。
ゆう
「久しぶり。」
ナミ
「見たでしょ。これが、今の竹の海。」
ゆうは深く息を吸う。
湿った青の匂い。
だがどこか、淀んでいる。
ゆう
「風が、通ってない。」
テルが目を細める。
テル
「分かるか。」
ゆう
「うん。風が、迷ってる。」
沈黙。
ナミはふたりを交互に見る。
ナミ
「迷ってる、じゃ済まない。
このままだと、本当に崩れる。」
ゆうは空を見上げる。
薄い朝の光が、密な竹の隙間からわずかに差し込む。
あの夜、彼は“橋”になった。
島と世界をつなぐ風の橋。
けれど――
橋は、誰かが渡らなければ、ただの道だ。
ゆうは、胸元の笛を外す。
ナミが息をのむ。
テルは何も言わない。
ゆうは、しばらくそれを見つめ――
そっと、腰に下げた。
吹かない。
代わりに、言った。
ゆう
「……切ろう。」
ナミ
「え?」
ゆう
「この竹、切って、風の通り道を作る。」
テルの口元が、かすかに緩む。
テル
「ようやく、地面に降りたのう。」
ゆう
「橋だからさ。
向こうに行くだけじゃなくて、
こっちに戻る道も、作らなきゃ。」
朝日が、ようやく竹林の端を照らす。
ほんの一筋の光。
その中で、一本の若竹が揺れた。
――風が、わずかに通る。
それは奇跡ではない。
ただ、人が動こうとした、その瞬間に生まれた風だった。
(つづく)
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