鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

クンサン荘は大工の叔父が建てました

それにしても出会いとは面白い。先日お泊りになったお客さん、この写真の画集の作者で画家の岡本正和さん。すでに沖家室には何度も通って橋や建物をスケッチしていたそうだ。今回が初対面。実はこの画集は前からこの鯛の里にあった。数年前によく鯛の里を利用してくださる県内の小学校の先生家族が宿泊されたときに、「この画集を鯛の里の松本さんに渡してほしいと同僚に頼まれました」と手渡された。いつかそのお礼を直接申し上げたいと思っていた。そして当日、料理も出し終わり「一緒に呑みましょう」と声をかけてくださり、呑みながら雑談をしているとおもむろにこの画集を取り出した。
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「えっ、この画集は岡本さん?」
「そうです。私です。スケッチしたお家は私の叔父が建てたものです」
びっくりした。いつかお会いしたいと思っていた人が目の前の人だった。
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叔父さんが建てられたという家は、島のゲストハウスとして使われている「群山荘(くんさんそう)」。この建物は、かつて朝鮮半島が日本の統治の時代に朝鮮人参などを商いにして財をなしたご当主が別荘として建てられたもの。長州大工の粋を集めた豪邸。これを建てた岡本さんの叔父さんも小松の出身の大工。
この建物を「島で活用してほしい」という御当家からの申し出で自治会が預かり、泊清寺が管理している。当主が商いをした地、北朝鮮の群山(クンサン)にちなんで群山荘と名付けた。まさに文化財級。島の迎賓館として様々な文化人や著名人が、眼下を見下ろす風光明媚な景色を観ながら美酒佳肴に舌鼓を打った。故立松和平さんを囲む会では約50人が集った。伝統航海士でホクレア号のキャプテン ナイノア・トンプソンさんやクルーの皆さんもここで迎えた。
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画集には古い写真も掲載されている。これは東和町誌にも掲載されている。場所は現在の高札場のあるところで、これは面白い。おそらく昭和のはじめのころであろう。家の下は浜。現在は車道となっている。人が写っているが、この中のひとりが大工の岡本さんだそうだ。そのうしろに竹製の生簀がある。ダンベーという。昭和40年ころまではこれが水揚げ場に使われた。左にクスリと書かれた看板がある。星薬局であるが今は空き地になっている。その下の塀に海藻が干されてある。かつてはこの島も海藻を肥料としていたのだろう。御当家(群山荘)はその後台風などで修理はされたものの、その古風で威風堂々としたたたずまいは今も衰えていない。
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翌日はさっそく群山荘にご案内。新山住職もこられて、現在はハワイ移民の資料を展示した「シーサイドミュージアム」として使われていることや、家のつくりなどを聴いた。「叔父が作った家で、今も島の人たちに大切に使われていると思うと、嬉しさがこみあげてきます」と、岡本さんが柱をさすりながら感慨深そうに語った。
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岡本さんの他の三人もすごい顔ぶれ。一人は宇部日報の記者で、宮本常一作「土佐源氏」を一人芝居で演ずる坂本長利さんをサポートする永富衛さん。「土佐源氏通信」の発行者でもある。永富さんとは2014年の土佐源氏岩国公演以来の再開である。土佐源氏にまつわる濃い話も聴けた。もうひとりは土井が浜遺跡ミュージアム館長吉留さん。もうひとりは東京からカメラマン(名前聴くの忘れた!(^^;)!)
こういうことがあるから止められないのがこの仕事である。ハッハッハ!