安下庄で海の駅づくりの取り組みが中国新聞に紹介されました。
ここ沖家室島もですが、
かつてはたくさんの船が入って、
芝居や大道芸などの芸能あるいはは優れた漁法や知識人などが招かれました。
海から開かれた日本の文化とは宮本常一先生の言葉です。
まだ藩政のころ、
周防大島に藩直轄の浦(港)を安下浦と久賀浦に置き、
有事の際に水軍力を確保し、
漁業税やその他課役を得ることが目的とされました。
この藩直轄地を御立浦(おたてうら)と呼びました。
御立浦には網漁など特権的に免許も与えられていました。
つまり海の行政の中心地だったわけです。
これに対して、
他の浦は端浦(はうら)と言いました。
さすがは安下浦!(^^)!。
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