鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

トイレ修理の備忘録:高機能トイレと地域の相性


夜中、民俗調査で泊まっていた学生さんが「水が流れません」と言い出した。

工務店、さらにメーカーへとバトンタッチして見てもらった結果、原因は部品の経年劣化。幸いにも部品の製造打ち切り直前だったため、今回はなんとか交換修理で対応できた。

このトイレ(アラウーノ)を設置したのは2011年のこと。もともと1階に2つのトイレがあったが、2階の宿泊客がわざわざ1階に降りる不便を解消するため、2階へ増設する計画を立てた。
し
かし、工事直前に東日本大震災が発生。復興優先で予定していた製品が入らなくなってしまった。その時、工務店さんが「高級なものなら在庫があります。見積もり通りの価格でいいので、これを付けましょう」と粋な提案をしてくれた。そうして導入されたのが、今のアラウーノだった。

使い心地は至れり尽くせりだったが、暮らしてみて大きな弱点に気づいた。すべてが電気制御のため、「停電」と「断水」のダブルパンチにお手上げなのだ。

昔ながらのタンク式なら、バケツでタンクに水を足せば流せる。しかし電気式は、電気で弁を動かす仕組み。便器にいくら水を注いでもダクトが開かない。非常用の手動バルブを開ければ流せるものの、毎回そんな手間はかけていられない。おまけに、バルブを閉めてから再度水を溜めておかないと、浄化槽から強烈な悪臭が上がってくるという弱点もあった。

【結論】
メーカーの部品保有期間もあと数年とのこと。次に壊れたら、便器ごとの交換を余儀なくされるだろう。
私たちが暮らすこの地域は、停電や断水が比較的多い。都会的な至れり尽くせりの高機能はありがたいが、災害への強さを考えると、やはりこの地では「タンク式」に軍配が上がる。
ちなみに、1階にある2つのタンク式トイレは、今でもトラブルなく元気に健在だ。

トイレの故障

数日前、民俗調査の学生さんが泊まった時の早朝。

「松本さん、トイレの水が流れません」

パネルボタンを押しても、本体ボタンを押してもフンともスンともしない。非常時用の、器内のバルブを手動で開いてなんとか流した。

アラウーノのメーカーのパナソニックに修理依頼を出すと、症状から7万以下に収まるだろうとのこと。
とはいえ、やれやれ、また金がいるんか。

アラウーノは電気で作動するため、タンク式のサイフォン方式と違う。停電や今回のような故障で電気が通じなくなると、ボタン一つでは流れない。サイドカバーを開けて、非常用のハンドルをカチカチと手動で回さなければいけないのだ。

次に新しく設置するときは、やっぱりタンク式の方が良さそう。ここは断水と停電が多いから。

秋の味覚:和歌山県産の早生利根柿


元は渋柿だけど、すでに渋は抜いてあるのでブチ甘い。毎年この時期になると取り寄せる、一年に一度の楽しみ。

そういえば、近所のお柿さんの木にほとんど姉が付いていない。年によって裏表があるのかな? 

今年は「熟れ頃の姉を食べてください」とは言ってくれないのだろう。

<今朝の一句>
熟れ頃の 姉は来ませぬ 秋の暮れ
  呑爺・Donjii🤣

かつて鈴木商店という巨大な商社があった

鈴木商店(すずきしょうてん)は、明治から大正期にかけて一時は三井・三菱を凌駕して日本一の売上を誇った伝説的な総合商社。

1874(明治7)年に神戸で砂糖取引商として創業し、第一次世界大戦時の積極的な多角化投資により、1917(大正6)年には当時の日本のGNP(国民総生産)の約1割に匹敵する売上高を記録する巨大企業へと急成長を遂げた。しかし、その後の戦後不況や昭和金融恐慌のあおりを受け、1927(昭和2)年に破綻。

僕がこの鈴木商店を知ったのは、「栄光なき天才たち 総合商社の原点・鈴木商店」(集英社)の本を読んだのがきっかけだった。三井・三菱を凌いだ商社が存在したという事実には本当に驚いたし、そのエネルギッシュな破竹の勢いは、今も強く印象に残っている。

そんな鈴木商店の興亡を描いたドラマがあることを知った。現在、Amazon Prime Videoなどでも配信されている「お家さん」。主演は天海祐希と小栗旬。この二人の共演とあれば、面白くないはずがないではないか。

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一休さんは誰の子?

アニメ「一休さん」を観ていてふと思った。一休さんて、誰の子どもだったんだろう。 いつも登場するお侍さんの「新右衛門」さんがなぜ一休さんのそばにいるのだろうと。

「刀剣ワールド」というサイトによると、「一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、第100代後小松天皇(ごこまつてんのう)の落胤(私生児、お忍びで生ませた子ども)」ということ。 だから新右衛門さんがついていたのだ。「落胤」(らくいん)とは「おとしだね」ともいう。つまり、正妻や側室以外の女性との間に生まれた子ども。

なにも天皇だけではなくて、お殿様がお忍びで出かけたときにお手付きしてできた子も「ご落胤」と呼ぶ。僕の知り合いでも、祖先にご落胤がいると言っていて、割と多い。 天皇に後継がいないときに、ご落胤が呼び出される場面は時代劇に見ることがある。

ところが新右衛門さんは一休さんの護衛かと思ったら、そうではないようだ。実は監視(お目付け役)だったようだ。一休さんは足利将軍家にとって「将来、国を揺るがすかもしれない危険因子(天皇の落胤)」。そのため、将軍・足利義満から直々に「一休が怪しい動きをしないか見張れ」という密命を帯びて安国寺に送り込まれたのが、新右衛門さん。なるほど。

最初は監視役として近づいた新右衛門だったけど、一休さんの純粋な人柄や卓越したとんちに触れるうちに、すっかり一休さんの大ファン(理解者)に。 

さらに、将軍様から無理難題を押し付けられて困った新右衛門が、「一休さ〜ん!一大事でござる〜!」と安国寺に駆け込んで助けを求めるのがお約束のパターン。結果として、監視というよりは「年の離れた大親友」のような関係になっていった。

ところで一休さんの母親は、伊予の局(いよのつぼね)という名で、南朝側の公家である日野中納言(ひのちゅうなごん)の娘。巨大な権力をもった藤原氏の家系で、高貴な家柄。始祖は藤原鎌足で、藤原姓は天皇から拝命したもの。

一休さんが晩年に暮らしたのは京都府京田辺市にある酬恩庵(しゅうおんあん)、通称「一休寺(いっきゅうじ)」。

ここに面白い逸話が残されている。

一休さんが亡くなる前に、一通の巻物を差し出し、こう言ったそうだ。

「この先、どうしても知恵が浮かばず、にっちもさっちもいかなくなった、本当の本当に困り果てた時だけ、この手紙を開けなさい。それまでは決して開けてはならんぞ」

そう言い残して、一休さんは旅立った。

そして年が経ち、お寺に本当に大きな危機が訪れた。お寺の存続が危ぶまれ、弟子たちがいくら話し合っても、どうしても解決策が見つからない。まさに「にっちもさっちもいかない」状況。

そこで弟子たちは、一休さんが遺したあの手紙のことを思い出した。

「今こそ、あの手紙を開ける時だ!」と、藁にもすがる思いで厳重に保管されていた遺言の巻物を広げた。そこには、大きくて力強い文字で、ただ一言こう書かれていた。

「心配するな、なんとかなる」

一休さんは、「人間は本当に困った時、パニックになって勝手に自滅してしまう。だから心を落ち着かせることが一番の解決策になる」ということを、このとんちを効かせた遺言で教えたのだった。これは今を生きる自分にとってもホッとする言葉。

京都府京田辺市にある酬恩庵 一休寺(しゅうおんあん いっきゅうじ)。「とんち橋」や国の名勝「方丈庭園」、「宗純王廟(一休禅師の墓)」などがある。休憩所では名物「一休寺納豆」と「ぜんざい」などが味わえるそうだ。

 いつか訪れてみたい。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

遅ればせながらNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をみています。

コミカルに描くのは三谷幸喜さんらしいです。

個人的に注目は源頼朝(役は大泉洋)の妻北条政子の存在。役は小池栄子さんで、目力がスゴイ。清盛亡き後、女将軍として鎌倉幕府を切り盛りします。

源義経(菅田将暉)が崖を馬ごと駆け降りる有名な「一ノ谷の戦い(鵯・ひよどり越の逆落とし)」のシーンはさすがに飛ばしていました。

以前にこの沖家室島の泊清寺で、狂言師の野村万禄さんが「那須与一」の演目で義経が崖を駆け降りる場面を演じましたが、語りの方がリアルでした。三谷さんは馬ごと崖を駆け降りるシーンはCGを使えば逆に白けてしまうと思ったのでないでしょうか。

ドラマのクライマックスは下関の源平合戦。「八艘飛び」をどう描くのか。今後楽しみです。
義経をめぐるドラマは、奥州藤原氏を描いた大河ドラマ「炎立つ(ほむらたつ)」などを見る方が、歴史の流れがわかりやすいかもしれません。

義経は幼少の頃、平治の乱で父を失うも平清盛に命を救われました。母の常盤御前は絶世の美女と謳われ、子どもたちの助命と引き換えに清盛の側室になったとも伝えられています。

その後、お坊さんにされるのを嫌った義経は、自らの出自が源氏であることを知り、鞍馬寺(くらまでら)を脱出して武士として生きるため16歳(当時は牛若丸)で脱出して奥州藤原氏のもとへと向かいます。のちに、その義経が平家を滅ぼすことになるのですから、歴史の巡り合わせとは本当に皮肉なものです。

源平合戦を勝利に導く義経でしたが、兄の頼朝から疎まれた義経は奥州藤原(岩手県平泉)の元に再び逃れ、鎌倉の厳しい追及によって、義経も藤原氏も滅亡に追いやられます。

源平最後の合戦「壇ノ浦の戦い」。平家の大将は平知盛。知盛の居城(島末城)は、ここ周防大島にありました。もし平家が滅ぼされなかったら、この周防大島の未来も変わったでしょう。

この続きはまた。ペンペン。