鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

かつて鈴木商店という巨大な商社があった

鈴木商店(すずきしょうてん)は、明治から大正期にかけて一時は三井・三菱を凌駕して日本一の売上を誇った伝説的な総合商社。

1874(明治7)年に神戸で砂糖取引商として創業し、第一次世界大戦時の積極的な多角化投資により、1917(大正6)年には当時の日本のGNP(国民総生産)の約1割に匹敵する売上高を記録する巨大企業へと急成長を遂げた。しかし、その後の戦後不況や昭和金融恐慌のあおりを受け、1927(昭和2)年に破綻。

僕がこの鈴木商店を知ったのは、「栄光なき天才たち 総合商社の原点・鈴木商店」(集英社)の本を読んだのがきっかけだった。三井・三菱を凌いだ商社が存在したという事実には本当に驚いたし、そのエネルギッシュな破竹の勢いは、今も強く印象に残っている。

そんな鈴木商店の興亡を描いたドラマがあることを知った。現在、Amazon Prime Videoなどでも配信されている「お家さん」。主演は天海祐希と小栗旬。この二人の共演とあれば、面白くないはずがないではないか。

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一休さんは誰の子?

アニメ「一休さん」を観ていてふと思った。一休さんて、誰の子どもだったんだろう。 いつも登場するお侍さんの「新右衛門」さんがなぜ一休さんのそばにいるのだろうと。

「刀剣ワールド」というサイトによると、「一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、第100代後小松天皇(ごこまつてんのう)の落胤(私生児、お忍びで生ませた子ども)」ということ。 だから新右衛門さんがついていたのだ。「落胤」(らくいん)とは「おとしだね」ともいう。つまり、正妻や側室以外の女性との間に生まれた子ども。

なにも天皇だけではなくて、お殿様がお忍びで出かけたときにお手付きしてできた子も「ご落胤」と呼ぶ。僕の知り合いでも、祖先にご落胤がいると言っていて、割と多い。 天皇に後継がいないときに、ご落胤が呼び出される場面は時代劇に見ることがある。

ところが新右衛門さんは一休さんの護衛かと思ったら、そうではないようだ。実は監視(お目付け役)だったようだ。一休さんは足利将軍家にとって「将来、国を揺るがすかもしれない危険因子(天皇の落胤)」。そのため、将軍・足利義満から直々に「一休が怪しい動きをしないか見張れ」という密命を帯びて安国寺に送り込まれたのが、新右衛門さん。なるほど。

最初は監視役として近づいた新右衛門だったけど、一休さんの純粋な人柄や卓越したとんちに触れるうちに、すっかり一休さんの大ファン(理解者)に。 

さらに、将軍様から無理難題を押し付けられて困った新右衛門が、「一休さ〜ん!一大事でござる〜!」と安国寺に駆け込んで助けを求めるのがお約束のパターン。結果として、監視というよりは「年の離れた大親友」のような関係になっていった。

ところで一休さんの母親は、伊予の局(いよのつぼね)という名で、南朝側の公家である日野中納言(ひのちゅうなごん)の娘。巨大な権力をもった藤原氏の家系で、高貴な家柄。始祖は藤原鎌足で、藤原姓は天皇から拝命したもの。

一休さんが晩年に暮らしたのは京都府京田辺市にある酬恩庵(しゅうおんあん)、通称「一休寺(いっきゅうじ)」。

ここに面白い逸話が残されている。

一休さんが亡くなる前に、一通の巻物を差し出し、こう言ったそうだ。

「この先、どうしても知恵が浮かばず、にっちもさっちもいかなくなった、本当の本当に困り果てた時だけ、この手紙を開けなさい。それまでは決して開けてはならんぞ」

そう言い残して、一休さんは旅立った。

そして年が経ち、お寺に本当に大きな危機が訪れた。お寺の存続が危ぶまれ、弟子たちがいくら話し合っても、どうしても解決策が見つからない。まさに「にっちもさっちもいかない」状況。

そこで弟子たちは、一休さんが遺したあの手紙のことを思い出した。

「今こそ、あの手紙を開ける時だ!」と、藁にもすがる思いで厳重に保管されていた遺言の巻物を広げた。そこには、大きくて力強い文字で、ただ一言こう書かれていた。

「心配するな、なんとかなる」

一休さんは、「人間は本当に困った時、パニックになって勝手に自滅してしまう。だから心を落ち着かせることが一番の解決策になる」ということを、このとんちを効かせた遺言で教えたのだった。これは今を生きる自分にとってもホッとする言葉。

京都府京田辺市にある酬恩庵 一休寺(しゅうおんあん いっきゅうじ)。「とんち橋」や国の名勝「方丈庭園」、「宗純王廟(一休禅師の墓)」などがある。休憩所では名物「一休寺納豆」と「ぜんざい」などが味わえるそうだ。

 いつか訪れてみたい。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

遅ればせながらNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をみています。

コミカルに描くのは三谷幸喜さんらしいです。

個人的に注目は源頼朝(役は大泉洋)の妻北条政子の存在。役は小池栄子さんで、目力がスゴイ。清盛亡き後、女将軍として鎌倉幕府を切り盛りします。

源義経(菅田将暉)が崖を馬ごと駆け降りる有名な「一ノ谷の戦い(鵯・ひよどり越の逆落とし)」のシーンはさすがに飛ばしていました。

以前にこの沖家室島の泊清寺で、狂言師の野村万禄さんが「那須与一」の演目で義経が崖を駆け降りる場面を演じましたが、語りの方がリアルでした。三谷さんは馬ごと崖を駆け降りるシーンはCGを使えば逆に白けてしまうと思ったのでないでしょうか。

ドラマのクライマックスは下関の源平合戦。「八艘飛び」をどう描くのか。今後楽しみです。
義経をめぐるドラマは、奥州藤原氏を描いた大河ドラマ「炎立つ(ほむらたつ)」などを見る方が、歴史の流れがわかりやすいかもしれません。

義経は幼少の頃、平治の乱で父を失うも平清盛に命を救われました。母の常盤御前は絶世の美女と謳われ、子どもたちの助命と引き換えに清盛の側室になったとも伝えられています。

その後、お坊さんにされるのを嫌った義経は、自らの出自が源氏であることを知り、鞍馬寺(くらまでら)を脱出して武士として生きるため16歳(当時は牛若丸)で脱出して奥州藤原氏のもとへと向かいます。のちに、その義経が平家を滅ぼすことになるのですから、歴史の巡り合わせとは本当に皮肉なものです。

源平合戦を勝利に導く義経でしたが、兄の頼朝から疎まれた義経は奥州藤原(岩手県平泉)の元に再び逃れ、鎌倉の厳しい追及によって、義経も藤原氏も滅亡に追いやられます。

源平最後の合戦「壇ノ浦の戦い」。平家の大将は平知盛。知盛の居城(島末城)は、ここ周防大島にありました。もし平家が滅ぼされなかったら、この周防大島の未来も変わったでしょう。

この続きはまた。ペンペン。

 

思わぬ腹痛

お腹の調子が悪い。なんか当たったか。なんだか牛乳を飲んだときのようにゴロゴロする。

そこでハッと気が付いた。パンを食べようとしたとき、豆乳が切れていたので、コーヒー用のクリーミングパウダーを小さじ5杯をお湯で溶かして飲んだ。「えっ、まさかこれのせい?」と思って成分を見たら、やっぱりあった。「脱脂粉乳」。

コーヒーに入れるときはいつも大丈夫なのに。今回は量が多かったせいなのかもしれない。

イラストレーター黒田征太郎さん、北九州のNPO法人「抱樸」に壁画を描く。

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<イラストレーター黒田征太郎さん、北九州のNPO法人「抱樸」に壁画を描く>
ここにはかつて、特定危険指定暴力団工藤会の本部事務所がありました。その跡地が今、ホームレスの自立支援などを行う北九州市の認定NPO法人「抱樸(ほうぼく)」の手によって、交流・福祉の拠点「希望のまち」へと生まれ変わりました。

「抱樸」の代表は、高名な牧師でもある奥田知志(おくだ ともし)さん。つい先日も、広島で講演をされたばかりです。また、かつて安保法制反対デモなどで注目を集めた学生団体「SEALDs(シールズ)」の創設メンバー、奥田愛基(おくだ あき)さんのお父様でもあります。やはり、素晴らしい親子ですね。

ところで2017年7月、今回壁画を描かれた黒田征太郎さんは、かつてここ沖家室(おきかむろ)に来られたことがあります。

ミージシャン・豊田勇造さんが沖家室の泊清寺(はくせいじ)でライブを行った際、会場に来ていらっしゃったのです。最初は気づかなかったのですが、直会(なおらい)の会場で住職から「黒田征太郎さんもいらしています」と紹介され、一同「エッ!」と驚きました。実は豊田勇造さんのご友人だったそうです。
黒田さんは、菅原文太さん主演の映画「トラック野郎」にも出演されていたので、僕にとっても非常に馴染み深い方でした。

その席で住職がサインをお願いすると、ささっと素敵なイラストを描き始められました。その時の場面が下記の画像です。

その後、豊田勇造さんを囲んでの二次会は我が家で。黒田さんにもお声がけしたのですが、翌日のご予定があるとのことで、その日は日帰りで戻られました。我が家での二次会は、ライブに参加した若者たちも交え、深夜まで大いに盛り上がりました。

 

蚊取り線香の凄まじい威力



風呂場に入り込んだ数匹の蚊。入浴後の適度な温かさに誘われ、出入りする隙を狙ってコソっと侵入。

手で叩こうにも、なかなか手ごわい。

そこで蚊取り線香を焚いたところ、わずか10分足らずで効果が。さっきまでの素早さはどこへやら、手で簡単につまめるほどフラフラになって落ちてきた。

蚊取り線香、恐るべし。

首相公邸のオバケ

高市首相が、ご自身のSNSで首相公邸について投稿した。

「公邸にはオバケが出るそうですが、もう会いましたか?」

これに対する高市首相の答えは、

「私は、オバケに会ったことは無いのですが、先日までは、ゴキブリに会って叫び声を上げていました」

どうやら公邸には、幽霊より先にゴキブリが出たようだ。

そもそも現在の首相公邸は、かつての首相官邸。いろいろな意味で「いわくつき」の建物でもある。
昭和7年(1932年)の五・一五事件では、当時の犬養毅首相がこの建物で青年将校らに襲撃され、暗殺された。

さらに昭和11年(1936年)の二・二六事件では、岡田啓介首相が青年将校らに襲撃された。
そんな歴史を持つ建物だからなのか、いつしか「公邸にはオバケが出る」という噂が立つようになったらしい。

新しく公邸に入る際、お祓いをした首相もいたという。スピリチュアル好きで知られた佐藤栄作首相や、あの小泉純一郎首相も、念入りにお祓いをしたと言われている。

歴代首相、幽霊対策にはそれなりに気を使ってきたということ。

ところが高市首相の場合、幽霊よりも怖かったのはゴキブリ。しかも「虫も殺せぬ」高市首相。ゴキブリ退治は秘書官にお願いして、「シュッ」とやってもらったそうだ。よ~い!(××)!。

ゴキブリには「シュッ」もできないのに、その一方で、殺傷能力のある武器の輸出には、さっさと踏み出す。

ゴキブリには悲鳴を上げ、人を傷つけることのできる武器はへっちゃらで輸出する。

いったい、どういうこっちゃ。

公邸の幽霊も、ゴキブリも、さぞや首をかしげていることだろう。

<そこで一首>
ゴキブリに
悲鳴をあげて
人向けの
武器を輸出す
世の不思議かな


呑爺・Donjii🤣