
アニメ「一休さん」を観ていてふと思った。一休さんて、誰の子どもだったんだろう。 いつも登場するお侍さんの「新右衛門」さんがなぜ一休さんのそばにいるのだろうと。
「刀剣ワールド」というサイトによると、「一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は、第100代後小松天皇(ごこまつてんのう)の落胤(私生児、お忍びで生ませた子ども)」ということ。 だから新右衛門さんがついていたのだ。「落胤」(らくいん)とは「おとしだね」ともいう。つまり、正妻や側室以外の女性との間に生まれた子ども。
なにも天皇だけではなくて、お殿様がお忍びで出かけたときにお手付きしてできた子も「ご落胤」と呼ぶ。僕の知り合いでも、祖先にご落胤がいると言っていて、割と多い。 天皇に後継がいないときに、ご落胤が呼び出される場面は時代劇に見ることがある。
ところが新右衛門さんは一休さんの護衛かと思ったら、そうではないようだ。実は監視(お目付け役)だったようだ。一休さんは足利将軍家にとって「将来、国を揺るがすかもしれない危険因子(天皇の落胤)」。そのため、将軍・足利義満から直々に「一休が怪しい動きをしないか見張れ」という密命を帯びて安国寺に送り込まれたのが、新右衛門さん。なるほど。
最初は監視役として近づいた新右衛門だったけど、一休さんの純粋な人柄や卓越したとんちに触れるうちに、すっかり一休さんの大ファン(理解者)に。
さらに、将軍様から無理難題を押し付けられて困った新右衛門が、「一休さ〜ん!一大事でござる〜!」と安国寺に駆け込んで助けを求めるのがお約束のパターン。結果として、監視というよりは「年の離れた大親友」のような関係になっていった。
ところで一休さんの母親は、伊予の局(いよのつぼね)という名で、南朝側の公家である日野中納言(ひのちゅうなごん)の娘。巨大な権力をもった藤原氏の家系で、高貴な家柄。始祖は藤原鎌足で、藤原姓は天皇から拝命したもの。
一休さんが晩年に暮らしたのは京都府京田辺市にある酬恩庵(しゅうおんあん)、通称「一休寺(いっきゅうじ)」。
ここに面白い逸話が残されている。
一休さんが亡くなる前に、一通の巻物を差し出し、こう言ったそうだ。
「この先、どうしても知恵が浮かばず、にっちもさっちもいかなくなった、本当の本当に困り果てた時だけ、この手紙を開けなさい。それまでは決して開けてはならんぞ」
そう言い残して、一休さんは旅立った。
そして年が経ち、お寺に本当に大きな危機が訪れた。お寺の存続が危ぶまれ、弟子たちがいくら話し合っても、どうしても解決策が見つからない。まさに「にっちもさっちもいかない」状況。
そこで弟子たちは、一休さんが遺したあの手紙のことを思い出した。
「今こそ、あの手紙を開ける時だ!」と、藁にもすがる思いで厳重に保管されていた遺言の巻物を広げた。そこには、大きくて力強い文字で、ただ一言こう書かれていた。
「心配するな、なんとかなる」
一休さんは、「人間は本当に困った時、パニックになって勝手に自滅してしまう。だから心を落ち着かせることが一番の解決策になる」ということを、このとんちを効かせた遺言で教えたのだった。これは今を生きる自分にとってもホッとする言葉。
京都府京田辺市にある酬恩庵 一休寺(しゅうおんあん いっきゅうじ)。「とんち橋」や国の名勝「方丈庭園」、「宗純王廟(一休禅師の墓)」などがある。休憩所では名物「一休寺納豆」と「ぜんざい」などが味わえるそうだ。
いつか訪れてみたい。