鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

義父の墓参 福山へ

 
11月10日
福山市の義父の一周忌法要に仕事で行けないため、
少し前に父を連れてお参りに。
父は少々介護が必要のため一人では手に負えないので、
友人の石田俊文さんに運転サポートをお願いした。
 
相変わらず同じ話を繰り返し、
石田さんもいちいち相槌を打ち、
けっこうしんどかったに違いない。
親子ふたりだけだと耐えがたい。
その繰り返す昔ばなしに新しい妄想が加わっていた。
 
僕が高校を卒業して入社した(株)日本メディカル・サプライ ※現(株)JMSに、
自分が働いていたと言い張る。
しかし、父が15歳の春に島を出て大阪の造船会社に入社し、
その後入隊して戦後を迎えた5年間、
もちろんJMSはまだ存在もしていない。
まして創業者故・土屋太郎氏は父とほぼ同じ年で、
10代で会社を築くはずもない。
 
さらに僕が30歳手前にその会社の総評系労働組合の三代目のトップとして
激しい争議を繰り広げた交渉相手のトップである。
短期間に急成長を遂げて現在では医療機器メーカーとして
1部上場業界2位の位置にあるが、
僕が入社したころは資本金7000万円の中小企業だった。
 
どうやら自分の頭に浮かんだことが既成事実に
とって代わることがこの症状なのかもしれない。
そういえば行く先々でここは前にも来たと必ず言う。
もちろんそんなことはない。
これも特有の症状だと、
そう思って笑い飛ばせばいいものの、
なかなかそんな器もない自分がいる。
 
さて、1年ぶりに会う義母は元気だった。
足は弱くなったが杖で動け、
口調もしっかりしていたので安心した。
一緒に墓参りに同行。
焼香を済ませると気が軽くなった。
 
なにせ1年前、
あるイベントの打ち上げで田中照敏さんの実家で呑み、
その深夜に義父が亡くなったと知らせを受け、
急いで高速を走らせる途中に激しい腹痛と出血。
真っ赤に染まる便器にびっくりポン。
 
あわてて廿日市の総合病院に駆け込み応急手当。
さいわいに大したことではないと判明して
後日に精密検査をうけることにして、
一日遅れで葬儀会場に到着。
逆に心配して声をかけてくれ義母や義弟夫婦に
申し訳ないやら恥ずかしいやら。
 
さらに四十九日は高速でオーバーヒートするハプニングで
レッカー移動し、
法要には行けず仕舞い。
そんなことがあったから余計に
一周忌までになんとか墓参を果たしたかったのだ。
それに90歳の父の年を考えると、
この機会を逃すともう再来は難しいだろうという思いもあった。
 
義母と昼食をして久々の会話。
義弟の妻も毎日のように電話をかけてくれるそうだし、
妻も休みのたびに帰っているようで、
昨晩までの土日を利用して帰省し、
我々とは入れ違いになったが、
父へのプレゼントに鍋とコンロのセットが置かれてあった。
 
妻の実家をあとにして、
鞆の浦を経由して広島へ。
鞆の港はいつみても美しい。
江戸時代から使われている雁木に魅入った石田さんは
潮が引いた浜の近くまで降りて雁木の撮影をしていた。
現代風の建物が混在する町並みにはほとんど興味なさそうだ。
「ふん、やな男だね」というと、
「どいひ~(ひど~いの意味)」と笑い飛ばした。
ハッハッハ!!
 
北前船の資料をもってまた訪ねたい」
 
また機会があったら民俗資料館や史跡をご案内したい。
 
周防大島と福山への日帰りは少々きついので、
この夜は広島のホテルに宿をとった。
この話の続きはまたの機会に。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
イメージ 3