もう亡くなった親戚のじい様からこんな話を聞いた。
「ワシがこまいころ、お宮の裏に古い墓があった。そこのまわりにはウルシがたくさん生えていて、みんなは恐れていた。ワシャ大丈夫じゃけといってそのウルシを頬や腕にハタハタとシバきつけたりした。ところがそのあとエライことになった。顔も腕もヤケドをしたように腫れあがり、そのうち皮膚がズル抜けになった。親に大叱られ。そして包帯でグルグル巻きにされた。こまいこととはいえ、バカなことをしたもんじゃ」
さて、話はかわるけどコロナ禍。ワクチンの接種がいつになるのか、そんな話題がメディアに踊る。効果はいかに、副反応はいかに。我々にとってはなにを以ってその情報を信頼してよいものか。エビデンスという言葉がたびたび出てくるが、それは「根拠」。その根拠の元になるのが厚労省の発表。変異したウイルスにも効果があり、副反応の割合も少数だと言うこと。
我がことになるが、アレルギー体質であるためたとえ少数の副反応であるといはいえ、怖い。かつて風邪で処方された薬でアナフィラキシーショックを起こし、死に目に遭った者として自分がヒットするかもしれないという不安がある。
為政者は少数の副反応の存在よりも、圧倒的多数に有効であるワクチンを推奨するのも分かる。結局は打つか打たないかは個人の判断になる。
そこで、こんな話もある。ワクチンを推奨するのは、そこに儲けがある者の企みである。いわゆる陰謀論。こういう類はなのものにもつきものだ。近い話では、アメリカの選挙の陰謀論。バイデン候補者側がトランプ票を盗んだと。それは開票マシンを操作させたと。そこでマシンのメーカーは激怒して提訴した。かつてオウムも票を操作させられて落選をさせられたと騒いだ。
いち市民からは、どれが本当なのかわからない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
そしてどうしても気になるのは、ワシは抵抗力があるからワクチンは打たない。大丈夫だと。だけどその根拠はなんなのだろう。抵抗力というのは潜在的な免疫力であり、新型コロナウイルスの抗体ではない。人類はウイルスとの闘いの歴史であったという。ワクチンによって撲滅に成功したのは天然痘ただひとつ。だけどウイルスに有効に対峙してきたワクチンもたくさんある。
大きな多数の声に、そうだそうだと。そうに違いない。いや絶対にそうだと、特に田舎の我々老人は流されやすい。少ない意見にも耳を持つ冷静さを持ちたい。ワクチン否定・肯定の話がでてくると、ウチのじい様の話を思い出す。