鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

東郷山とトウゴンタオ

この山は東郷山と言います。
この写真は久賀の街の手前の海岸道路から撮りました。
この山を越えれば久賀の街に入ります。
 
この山頂に、
来島 村上通康の城がありました。
厳島の合戦の戦勝の功として
毛利から領地を与えられました。
 
イメージ 1
 
その話の詳細は改めてとして、
下の写真の左に山が少し割れているのがわかるでしょうか。
これは地元でトウゴン垰(タオ)と呼ばれているところです。
東郷垰がなまったものです。イメージ 2
こちらからでは分かりにくいので、
反対の久賀の街側から撮りました。
まるでお尻の割れ目のような形をしています。
イメージ 3
 
ところで峠は「山」ヘンですが、
垰は「土」ヘンです。
峠は山の頂上をさしますが、
垰はなだらなか斜面をいうようところが多いようです。
ただ、私がいろいろ聞いて回ったところ
たとえば広島の山中では峠もタオと言っているところもあるし、
峠に対してその斜面をタオというところもありました。
だから土地によって違いはあるようです。
さて、このトウゴン垰はかつて生活道路だったようです。

宮本常一先生の著書にも、
ーーーーーー
昔のことである。島末(大島の東部)の方の者が、てくてく歩いて東郷垰(とうごんたお)の上まで来た。東郷垰は久賀の東にある垰で、そこから久賀が一望の中に入る。
息子「父(とと)、父(とと)、何と久賀は広いのお、日本ほどあろうか」
親父「馬鹿、日本はこの倍ほどある」
と言ったという話がある。子供のころから寝物語によく祖父から聞かされた。広い所に家がたくさんあるのを想像して、子供心にそういう所へいってみたいと思った。
ーーーーーー私の日本地図
 
このトウゴン垰を一度いってみたいと思っておりました。
そこでおととい実際に通れるかどうか行ってみました。
 
久賀の石風呂の近くの道を上り、
垰の方角に向けて走りました。
かなり狭い道路です。
どうもこのへんなんだがなあと思うところは
すでに車が通れるような道ではなく、
たとえ歩いても通れるかどうかわかりませんでした。
仕方なく道の続く方へ車を進めますと、
宮本常一先生が書いたとおり街が一望できました。
残念ながら恐る恐る狭い道を運転していたので、
撮影していませんでした。
 
さらに行くとさらに狭くなったり、
少し広くなったところには畑があったりと、
今でも農家の方が使っておられる道だとわかります。
 
イメージ 4
途中、栗がごろごろ落ちている箇所がありました。
まだ割れておらず若いようです。
こうして風光明媚な大崎の鼻あたりで、
ログハウスなどが立ち並ぶところが見えてきて、
少しホッとしました。
 
そして国道の海岸道路に降りたのは、
最初にカメラを構えた長浜バス停の向こうに写っている
白石地区のカフェギャラリー「みかんの木」の近くでした。
いまでこそ私たちは海岸道路を便利に使っていますが、
かつてはこの山の中を縫うようにして歩いていたんですねえ。
このいわゆる往還道を今もきちんと使っていれば、
浜を潰さずに豊かな海も守れたのかなあと思ったりもしました。
 
★後日談★
まあアンタ、なんですいの。
もっとえっと写真を撮っつォろーか思うたんですがの、
なにせ道がせぼうての、
ワシャ、呑みスケのクセに
ノミの心臓みたいにこまいもんですけ、
ハンドル握るんがいっぱいいっぱいよの。
やりょー、トイシーんじゃねえんじゃけ。
 
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民宿 鯛の里(コイの里ではありません。タイの里です。タ・イッ!! )
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