鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

三重県の嫌がらせから思うことー忘れられた日本人「私の祖父」

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周防大島出身の民俗学者宮本常一の著書「忘れられた日本人」の中の「私の祖父」の項に疫病と火事を出したことが書かれてある。

 

「慶応二年に弟が旅で赤痢に感染してもどって来、それが父にうつって父を失った。……その上、私の家へもってかえった赤痢が村にひろがって多くの人を死なせたいへんな迷惑をかけた」

「近所の子供が火あそびをしたのが家について、三軒やけ、その上牛を焼失させた。子供の火なぶりではあっても、火もとというのでやはり村に対してつつしまねばならぬ。こうして死にいたるまで村の表面にたつことはなかった」

 

昔から、疫病と火事を出すとその家は没落したという話はよく耳にする。いわば村八分である。あるいは、肩身の狭さから自ら身を慎むものでもあったのだろう。

 

ところで、三重県知事は20日新型コロナウイルスの患者や家族の家に、石が投げ込まれたり、壁に落書きされたりするなどの被害があったことを明かした。「誰がいつどこで感染するかわからない、傷つけ合っても意味がない」。と苦言を呈した。ネット上でも、感染者を叩く書き込みをよく見る。「なぜのこのこ帰省した」「県外への出かけるなどもってのほか」などなど。ひとたび感染者が出ると集団感染となり、その地域経済はどん底に突き落とされる、その気持ちはわからないではない。ただ、その腹立ちまぎれに声を発することは、解決には結びつかない。むしろ、隠れた感染者を生むことになりはしないか。

 

新型コロナウイルスを「武漢ウイルス」、あるいは「武漢熱」と呼ぶ人もいる。しかも与党の国会議員から出てくる。確かにおお元は中国武漢かもしれないが、そこには様々な人が住んでいる。衛生状態の悪い市場で暮らす人もいれば、武漢は1000万人を超える近代都市でもある。そこに暮らす人もいる。十把一絡げに武漢憎しと呼ぶことはいかがなものだろう。

 

日本も「水俣病」や「四日市ぜんそく」など、地名を冠する病の名がある。四日市は、苦言を呈した三重県知事の四日市である。それは今もその地のイメージとして残る。こうしたことからWHOは、風評被害などを避けるため地名や動物名などを使うのは避けることをルールとしている。それでもなお、そう呼び続けるのはもはや意地悪でしかない。子どものいじめと同じ構造である。

 

先の宮本常一の著書の文末にはこうある。
「祖父が死んだあくる日、近所の老人が祖父名義の貯金通帳をもって来た。それは自分の葬式の費用にするためのものであった。この通帳をあずかっていた老人は、その昔私の家をやいた少年であった。青年のころは……祖父はよく面倒を見てやっていた」

 

八分の残りの二分は、火事と葬式だという。日頃どんなに仲の良くない付き合いであっても、火事と葬式だけは手を差し伸べるという意味だ。ウイルスはいつ自分に罹るかもわからない。もちろん不用意なことは慎むべきだとは思うが、お互い様であるということは忘れたくない。

 

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