宮本「・・・・やっぱりいろりのなくなったことね。これは日本人の性格を変えてしまうんじゃなかろうかと思う。・・・・いろりくらいみんなの心を解きほぐして、対話させる場というものはない。いまだって、水上さんといろりばたで火を見つめながらはなしてごらんよ。いいわな。火がちろちろ燃えている中で出てくる話はやっぱりすばらしい。その場なら話せますが、ここで昔話をしろったって、出てきませんわね。・・・・ところが、このごろ話を聞きにいくと、がっかりする。『・・・・テレビがすんでからにしてくれ』(笑)。それは同じように、自分らの命を燃え続けさせるものが消えてき始めているんじゃないかという感じがするのです」
水上「・・・・東京の道路建築現場なんかで、よっく黄色い兜なんかをかぶった工夫の人たちが火ィたいてる。あれはいなかの人ですな。確かに火ィたくくせがある。腹減っていてもまず火ィたいてあたる。・・・・とにかく火ィたかんことにははなしにも弁当にもならなんだ。私には個人的なつよい焚火への郷愁のようなものがあります」
宮本「いや、個人的じゃなくて・・・・・。だからあの体験を持たないということが、ある意味で人間が瞑想的なものを失っていった大きな原因ではなかろうか。ぼくは本来人間というものは詩人だと思います。散文的にしてしまった・・・・」
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(ここからは僕の文)
我々の子どものころは、浜で漁師がいつもドラム缶の火を囲んでいた。今はまったくない。ウチの母方の実家は対岸の佐連にあった。
ふちに台のついた長火鉢があった。ここでは囲炉裏という言葉は使わない。じいちゃんを中心に座る場所が決まっていた。めしはいつもそこで食べた。太い生木を一本くべ、ジュウノ(十能・小さいスコップのようなもの)で炭をバサっとかけた。しばらくして火はあかあかとなり、なんとなく見つめていたものだ。
島の我が家には長火鉢はすでになかったが練炭火鉢があった。それを囲んで食べた。干物、餅、芋などをよく焼いたものだ。そのうち、火鉢型の灯油ストーブに変わり、ファンヒーターへ。今はエアコンである。なんとも味気ないものになった。
実は十数年前、鯛の里には別館があった。今はIターン夫妻が独立して民宿を営んでいる。ここには囲炉裏を置いていた。正月には同級生夫妻と火を囲んで呑んだ。刺身やデビラの干物を焼いた。話は幼少のころまでさかのぼった。やっぱり火を囲むのはいい。そのうち一升瓶は転がり、奥さんはワインを一人で飲み干した。帰り際に奥さんが夫に言った。「お父さん、ウチにも買ってよ」
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