海から臨むお積(おつみ)地区の宮島様 ( 写真提供:濤良美智)
今年9月発行の弥生神社社報「弥生」に掲載されたものです。
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海を渡ってきた宮島様
〜周防大島付近に伝わる宮島伝説〜
僕の住む山口県周防大島町沖家室島のその沖合に水無瀬島(みなせじま)がある。沖家室島を本島とする属島である。今は無人島だけどかつて戦前には沖家室島民が住んでいた。本島の沖家室小学校の分教所(分校)もあった。
ここには古い時代に宮島様が祀られていたそうだ。 その宮島様は、今は沖家室島からほど近い、周防大島本島の大積(おおつみ)・小積(おつみ)地区の中ほどに建立されている厳島神社に産土神(うぶすな)として祀られている。遷されたのは天保年間というから、今から約一八〇年前の話になる。
厳島神社の前浜には広島県の安芸の宮島と同じ赤い鳥居がある。今でも旧暦の六月一七日には管弦祭が厳かに執り行われている。地元では「十七夜」と呼んでいる。
話は僕の小さいころになるが、僕の住む沖家室島の刈山丁=区は、この十七夜が夏の始まりでもあった。十七夜は子供会が家々から焚火の木をもらい受け、浜に櫓を組んで火を焚いた。店で花火を買い打ち上げたものだ。管弦祭をもじったものであろうが、子どもには花火の解禁日でもあった。
もうひとつは海に入る解禁日でもあった。昔からこのへんの海は「エンコ」がいると信じられていた。海の河童である。そのエンコがときどき悪さをする。子どもを海に引き込んで溺れさせるのである。十七の夜はエンコが宮島様にお参りして留守にするので、海に入っても引きずり込まれることはないと信じられていたのだ。これは後から知った。
この地区の他にもうひとつ宮島様が祀られている。道の駅「サザンセトとうわ」にほど近い生島(いきしま)というところに赤い鳥居があるがそこである。かつては潮が満ちると離れ小島であった。現在は埋め立てられて陸続きとなった。
この生島という名の由来が面白い。 宮島神は三女神と言われている。九州は福岡県北部・筑紫の国の宗像大社から、政治経済の中心が九州から大和地方へと移行するのに伴い、海を渡ってきたと言われている。
この沖家室島の西に浮かぶ平郡島がある。古くは平島(へぐりじま)ともいう。宮島の神様はこの地に腰を下ろした。ところがここには浦が六つしかなく、神様は七つないとイヤだといい、この地を去った。そしてこの地を五十谷(いや)と呼ぶようになった。
その次に腰を下ろしたのがこの周防大島である。一息ついたところで島が揺れたというのである。「この島は生きている」といって、いそいそと出てったそうだ。地震でもあったのだろうか。そしてこの島を生島(いきしま)と呼ぶようになった。
厳島に渡った神様はよほど気に入ったのだろう。 「安芸の宮島まはれば七里、浦は七浦七恵比須」 と詠われる。宮島航路を走るフェリーの名を「ななうら丸」という。 地名は歴史を背負う碑文でもあるのだ。
(文・写真/まつもと・しょうじ)
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