渋澤敬三著「祭魚洞雑考(さいぎょどうざっこう)」から
【アチックミュージアム】
渋澤家の屋根裏(やねうら)にしつらえた私設博物館。そこに集う若き民俗学者たちの息吹から主宰者としての使命感と緊張感が伝わってくる。
そのときの心情を中国の詩人陶淵明(とうえんめい)の帰去来辞を用いて吐露している。
悟己往之不諌知来者之可追
(已往(いおう)の諫(いさ)むまじきを悟り來者の追う可(べ)きを知る)
※(いままで生活のために心を犠牲にしてきたが、これからは来者や自分のために未来を生きよう)ーということか。知らんけど!(^^;)!。
1935年(昭和10年)7月30日。民族学博物館を開設する2年前のことである。
1937年(昭和12年) - 保谷に民族学博物館を開設し、アチック・ミューゼアムの資料を移管する。
ところがバンカーとして忙殺されることになる。
1941年(昭和16年) - 第一銀行副頭取就任。
それにしても文字が小さく、旧字体が多い。いちいち辞書を引くからなかなか進めん!(××)!。