鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

赤芽という里芋

★赤芽という里芋

もう20年以上も前になる。狼煙場跡を訪ねて伊崎地区に足を運んだ。ちょうど町議の叶井さんがいて、そのことを尋ねると「そりゃウチの山じゃ」という。

狼煙場の話のはずが、ついつい世間話となった。

「この伊崎はうまい里芋がとれるんですよ。赤芽といいましての、ここの赤土がいいらしい」

帰りにその里芋を持たせてくれた。

さっそくみそ汁にしようと鍋に入れた。ところがちょっと目を離したスキに、煮汁が鍋からあふれてまわりはベチャベチャ。これほど粘りがあるとは驚いた。布巾で拭き取ったが、ヌルヌルで絞れない。トイレットペーパーで拭き取った。

いやいや、これが赤芽といわれる里芋か。しかもこれほど旨い里芋は初めてだ。トロトロなのにまわりの身はしっかりしていて、中はガシっとするほどの歯ごたえ。なんとも香りがいい、

AI先生に聞くと里芋という名前は、山で採れる山いも(自然薯)と区別するために「村(里)で栽培される」ことに由来していると言われる。インド東部地方からマレー半島あたりが原産で、中国を経て縄文時代に日本に伝わっそうだ。稲作よりも歴史が古く、米食以前の日本の主食だったと考えられている。

伊崎は安下庄の青木家が拓き、その一族が沖家室に渡り四代目の庄屋をつとめ米屋の青木と呼ばれる名家である。安下庄で医者の青木といえば知らない人はいない。古代皇族の多治比古王が祖とも言われ、シーボルトに師事し、天然痘の撲滅に貢献した。明治天皇の典医をつとめた大家である。ペルー大使館人質事件のときの青木大使もその一族で、解放後にテレビカメラの前で一服させろとプカプカ吹かした姿は忘れられない。周防大島の青木家については宮本常一先生が書いた東和町誌本編に詳しく書かれている。

叶井さんが亡くなられてもうだいぶ経つが、またあの赤芽の里芋が食べたくなった。

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