鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

夕日の見える丘(地家室~外入(峠越え 往還道)

 
周防大島の外入(とのにゅう)から地家室(ぢかむろ)へ至る峠に「夕日の見える丘」がある。僕が中学生の頃は歩いて峠越えをして、ここまでくるとやっと半分来たかと腰をおろしたものだ。ここもつい最近までは藪に覆われて見下ろすことはできなかった。外入の木村さんはじめ有志の皆さんたちが木を伐り藪を刈って、昔のように見晴らしができるようになり、「夕日の見える丘」と名付けて今ではすっかり名所となり、旅のガイドには欠かせない絶景ポイントとなった。きのう通りがかりにきれいな夕日が望めたので、ケータイではあるがカシャッ。作業にあたられた皆さんに心から敬意を表します。
 
江戸時代にはこの付近に峠の茶屋があったとされる。僕の小さいころ水飲み場のようなものがあったが、実は毛利藩直轄の茶屋、今で言うと迎賓館のようなものだという。参勤交代の折にはおもてなしをしたものだろう。
峠の麓の地家室には海に面した遊郭が立ち並んだ。浜から積まれた風格のある石垣は今もその面影をとどめる。その向こうの突端に太夫鼻がある。遊女が身を投げたことからその名が付いたといわれる。その真向いの沖家室島に女郎石という磯がある。遊女が言うことを聞かないと「ジョロイシ(女郎石)に連れていくぞ」と脅したそうだ。セッカンでもしたのだろうか。ひどい話だ。
 
沖の家室(沖家室)も地の家室(地家室)も参勤交代の寄港地としてその役割をつとめた。沖の家室は大名が泊る本陣宿場町として、地の家室は風待ち潮待ちの浦として高級役人などを接待する役割分担をしたのだろうか。おちょろ船も出たそうだ。お女郎舟→おちょろ舟。
 
太夫鼻の岩のそばに首なし地蔵がある。なにやら曰くめいたものがありそうだが、台風で海に転がったお地蔵さまを引き揚げたものの、頭だけ見つからなかったそうだ。だから怖がることはなさそうだ。以上、旅の参考にしてくだればしあわせまーす。語尾をのばすなって!!
イメージ 1