鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

要介護認定調査

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年に一度の要介護認定調査が終わった。1~5までの要介護度を認定をするための聞き取り調査。たくさんの聞き取り項目がある中で、父が主に該当するのは「作話」と「異食」かな!(^^)? 僕の主観だけど。
作話とは字のごとく作り話。父の認知症状の場合、目の前のものがすべて既成事実化してしまう。例えば、介護施設の電気配線の話題が出ると、すべてワシが工事したとか、橋の話題になると、橋はワシが金をだして架けたとか。
あるいは、目の前に起きたことがすべて自分の経験につなげる。例えば、戦争の話になると、戦地で撃たれて肋骨の骨が一部ないとか。でも戦地には行っていない。肺の片方がないのは事実だが、それは戦後患った結核がもと。笑えるのは戦争体験。ワシの船でドイツに行った。イギリスにも行った。なぜなら敵に見つかりにくいからと。でも戦地には行っていない。
自慢話になると、かつて、佐藤総理と安倍総理宮本常一先生と佐野眞一先生と一緒に東和総合センターで表彰を授けたことがある。んなことあるかい!(××)!。ここまでくると笑わずにはいられないが、人前でやられると顔から火を吹くほど恥ずかしい。
介護施設の職員が言っていた。「お父さんが部屋に帰ってきたので、どこへ行っていました!(^^)?と聞くと、ドイツに行っていた」。どうもドイツが好きなようだ。
「異食」とは、変なものを食べる、変な方法で食べる。例えば、袋に入ったままのパンを野菜と煮つけるとか、炊飯器に水を張って袋入りのパンを炊く。極めつけは保冷剤をレンジでチンして食べようとしていた。最近は今食べたことを忘れるからひたすら食べる。介護施設からの申し送りも、食事のあとも「ご飯はまだか!(^^)?」というそうだ。満腹中枢がマヒをするとこうなるとは、漫画の世界だけかと思った。
最初に認知症の症状が出始めたのは3年くらい前から。そのころから徐々に沖には行かなくなった。ひどくなったのが2年前くらい。最初は戸惑ったが、今では対処の仕方もわかってきた。最近はものがない、「盗られた」が少なくなってきた。そのことすら記憶にないということだろうか。外でどうしてもいうことをきかないときは、奥の手がある。「総理が会いにきちょる。はよ家に帰らにゃ」。そういうとホイホイと帰る。「お上」の言葉に弱いのもこの世代の特徴でもある。
現在、要介護認定は3。これが4に進むかもしれないが、たいして介護サービスの内容は変わらず、むしろ金額の負担が増えるそうだ。本当は朝食と夕食にヘルパーさんを頼みたいのだけど、介護保険をいっぱいに使っているので、デイサービスかショートステイを減らすしか方法がないからやめた。
そろそろホーム入所を考えたいけど、グループホームだと負担は大きい。特養を望むけど、10年あるいは20年待ちとの話も聞いた。しばらくは通所の在宅介護しかなさそうだ。さいわい近所の皆さんの目が暖かいからありがたい。
父は釣具の細かい作業もこなしてきた。かむろ鈎という針先の繊細な作業もこなしてきた。手先の仕事はボケ防止になると言われてきた。でもこれほどの認知症になることは考えもしなかった。

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