鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

NPOふるさと里山救援隊 田中照敏さんの実家(光市塩田)を訪ねて

2012年1月9日
NPOふるさと里山救援隊の田中照敏さんが光市の実家で
里山整備の作業をしているとfacebookにあったので訪ねてみることに。
 
光市塩田(しおた)という地区。
今は光市となったが旧・大和町
山深いところにご実家があり、
歩いて10分足らずのところで作業をしていた。
地面からわずか数センチに刈られた草ゞの麦わら色が一面に広がる棚田。
春の光を待ちながらしんと静まる大地。
しばらくたたずみ、大きく深呼吸。
そうか、ここが里山再生にかける彼の情熱を生み育てた原点なのか。
その美しさはまさにジブリ作品の絵職人「男鹿和雄」が描く里山風景そのものだった。
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さっそく囲炉裏端に腰をかけ、
あったかいコーヒーをご馳走になった。
コップは切り出したばかりの孟宗竹。
切り口には白いツブが吹く。
「これ、砂糖をつけた?」
と尋ねるほど甘い。
竹のエキスだそうだ。
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この家は大工の棟梁だった田中照敏さんのお父さん、
故・幸男さんが建てたものだそうだ。
今はすっかり廃屋となったが趣のある家だ。
田中照敏さんにポーズをとってもらった。
おそらく抜刀のしぐさだと思うがそれもそのはず、
自らを幕末の志士高杉晋作になぞらえて田中晋作と名乗るほどの入れ込みよう。
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このポーズをとる田中氏の真向かいには、
ご丁寧にも第二奇兵隊本陣跡のある石城山を指していた。
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さて、田中照敏さんのお母さんがお昼をご馳走してくださるというので実家を伺った。
天ぷらと煮しめをいただいた。
甘みのある野菜はどれも美味かった。
目の前の畑でとれたものだそうだ。
その中に昨年暮れ、
ウチの娘の嫁ぎ先でとれた岩国レンコンを田中さんに差し上げたが、
それも天ぷらにしてくださっていた。
お母さんから、
 
「とっても美味しいレンコンをありがとうございました」
うひゃ(=^・^=;)
 
ところでこの自宅兼仕事場も棟梁だったお父さんが建てたものだそうだ。
使い勝手よくなんども手入れをされたそうだ。
「私がサラリーマン時代の勤務先の名古屋から帰省するたびに間取りがかわっていた」
とは田中照敏さん。
確かに一間だけ床の色が真新しかったり、
応接の間の入り口がサッシだったり。
しかし家の外観はオーソドックスな農家の作り。
屋根が美しい。
さてその自宅の眼下には風光明美里山風景が広がっていた。
海に住む僕にとってはあこがれの風景でもある。
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帰りに野菜をいただいた。
白菜、カブなど、
写真は見事な下仁田ネギ。
焼くと甘味が増して美味いそうだ。
お母さんはおん年85歳。
大正15年生まれのウチの父よりも2歳若い。
まだまだ背筋も伸びて
声もハイトーンも若々しい。
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お母さんに「また遊びにきます」とお礼を告げて車に乗り込む。
田中照敏さんも周防大島へ帰るため同乗。
バックミラーには車が見えなくなるまで見送ってくださるお母さんの姿があった。
還暦手前の息子もやはり子どもである。
普段はイカツイ顔の田中照敏さんだが母の前では子の顔だ。
ハッハッハ!!
 
次はせっかくなので石城山へ登ってみることにした。
頂上にある石城神社はかつて国宝で
現在は国指定重要文化財
 
参道にはうっそうとした連なる巨木。
背筋になにやら冷たいものが流れるほどの霊気。
 
10分ほど歩くと本殿に。
社殿はさほど大きくはないが造りは見事。
祭神は大山祇神(おおやまつみのかみ)とあり由緒ある神社
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この社殿の奥に第二奇兵隊本陣跡の碑があった。
ここを高杉晋作などの幕末の志士たちが駆け抜けたのだ。
自らを田中晋作と名乗る田中照敏氏にポーズをつけてもらった。
はたして草葉の陰から高杉の声が聞こえただろうか。
僕の耳には「高杉~ 高杉~」という木材広告のフレーズが聴こえるのみだった。
 
そのあとは一路周防大島へ。
半日のわずかな時間だったが、
やはり旅はいいもんだ。
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