旧東和町の船越と外入(とのにゅう)地区にまたがる小高い山、城山(じょうやま)へのハイキングイベントが、外入の木村庄吉さんたちの主催でおこなわれるそうだ。かつて、壇ノ浦の合戦を前に、平家の大将 平知盛が居城とした時期がある。参加したいけど、足が不自由なので残念。
以下、知盛について「源平にみる瀬戸内の魚」として過去にアップした記事がまだ残っていた。
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何年かぶりに関門海峡へ降り立った。狭い海峡に大型船がひしめき合う。
ここは壇ノ浦パーキングエリア。
源平の最後の決戦となったところだ。
幼帝安徳天皇とともに海に沈んだ平家の大将 平知盛。
ところで我が島 沖家室島の近くに知盛の城があった。
その地区名をジョウヤマ(城山)という。
ふもとには城山小学校がある。
この知盛が築いた島末城は源平合戦の終盤(1184年)に
決戦を迎える覚悟で周防大島に築いた山城である。
鎌倉時代の史書吾妻鏡には「大島は平氏謀反の時、
新大納言(知盛)城を構えて居住旬月に及ぶ・・・」とある。
さらに沖家室島の対岸の地区の小積には赤い鳥居の厳島神社など各地区にも赤い鳥居がたくさんある。
地元では「宮島さん」と呼び、
馴染んでいることがよくわかる。
魚名や漁法からみても面白い。
源平最後の決戦の壇の浦。
地元漁師は海の藻屑と散った幼帝安徳と平家一族を偲んで正座をして鯛を釣るという。
ここでは鯛をヘイケウオと呼ぶ。
沖家室島では身体中に槍をたてた縞模様のミノカサゴをキヨモリと呼ぶ。
コショウダイをトモモリ。
貝がらを背負ったヘイカガニ(これは学名も同じか)。
最近は洗剤のキャップを背負ったのもいる。
漁法が面白い。
今はなくなったが戦前まで行われたいた、
鳥が空からイカナゴやイワシなどの稚魚を追い、
浮いてきた魚を漁師が捕獲するアビ漁。
このアビをヘイケダオシと呼ぶ。
こうした漁をトリマワシという。
鳥回すという意味か。
地元の方言に「追いまわす」をトリマワスという。
「アイツは気に食わん。トリマワシてやる!!」と。
図鑑を開くと源平になぞらえた魚名が他にもたくさんある。
一の谷の合戦で平敦盛を討ったのは源氏の関東の武将熊谷直実。
アツモリウオとクマガイウオが同じトクビレ科にいるのは笑わせる。
このほかにも九州ではタメトモハゼ、
チンゼイシタビラメというのがいる。
これは九州源氏鎮西八郎為朝の名をとったものだろう。
ドラマをみると、
とかく清盛や頼朝が憎々しく描かれ、
超美男子の源九郎判官義経。
この判官びいきに対して瀬戸内は平家びいき。
魚名も高級魚が源氏を圧倒している。
平安の世は、
平家を射った源氏が鎌倉幕府を開いて鎌倉時代を迎えた。
しかし、今の世、瀬戸内の海の底の合戦は平家に軍配アリ、といったところだろうか。
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