鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

歴史に幕 宮島水中花火大会

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28日付中国新聞は見開き1面で、1973年から続いた宮島花火大会が歴史に幕を閉じたと伝えた。紙面のQRコードスマホをかざすと、紙面をバックに花火の映像が流れる趣向を凝らした。今や、こんなことまで出来るのかとビックリした。

広島に勤めたのが18歳で1974年。勤め先が宮島の対岸の大野町だった。僕が初めて見たのは宮島花火が始まって2年目にあたる。会社が終わり、フェリーに乗って観に行った。当時は海面で炸裂する水中花火はなくて打ち上げのみだった。ほぼ真上で空いっぱいに拡がる花火をみたのはこれが初めてだった。当時はそれほど人も多くはなかった。

30歳のときにケガをして数年ほど療養したのをのぞいては、たびたび周防大島から宮島に渡った。海面で炸裂する水中花火が始まったのはいつころかわからないが、規模が大きくなり国内有数の花火大会になるに従って人も増えた。鳥居のある前浜あたりが最高のポイント。それはもう通行するのさえ立錐の余地もなかった。5万人とは驚く。

僕は島に渡るといつも裏道を通り、神社の裏をまわって水族館まで行ってみていた。鳥居を真横にみることになるが、台船には近くて人も少なかった。

最後に観たのは2016年。これが最後になろうとは思わなかった。

YouTubeに2019年の花火の映像がアップされていた。撮った本人もこれが最後になろうとは思いもしなかっただろう。この年は珍しく鳥居まで潮が引いていた。潮干狩りのできるポイントでもある。浜に降りて花火が観られるのはとても珍しいし、台船までの距離も近い。大変にラッキーだっただろう。ひとつ残念なのは、鳥居の屋根をふき替える工事のために幕が張られていたことだ。

開催の主体は宮島観光協会である。世界遺産とはいえ、小さな宮島町の負担は大きかったはず。長く楽しませてくれて、ありがとうございました。