鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

我が家の怪談物語「海坊主」

母方の大叔父が対岸の地区佐連(され)に住んでいた。祖母の兄弟である。僕が高校三年当時、祖父母はすでに亡くなり、親戚はこの叔父一人だった。

当時はまだ橋が架かっていなくて、瀬戸丸というポンポン船に自転車を載せて通っていた。

橋の下の海峡を瀬戸と呼んでいた。悪天候となると当然海は時化、船は欠航となった。ただ、佐連から沖家室島への欠航はあったけど、足止めをくらうだけで、時化の合間を縫って出航した。だから帰れなかった記憶はない。

船着き場は荒れる波で1メートルくらいは上下し、生徒が飛び乗るのである。命がけのダイブである。船内は20人くらいが定員。ギュウギュウ詰めになった船はさながら波間に翻弄される笹の葉のようなもの。

船の窓はマスト(帆)の布。隙間から波が飛び込んでくる。そのたびにキャー、ウオーと悲鳴が挙がる。僕は小さいころから父の船で波には慣れていたので、半ば面白がっていた。波間をくぐり抜け、ここぞとばかりに船長がエンジンを吹かす。無事に港へ入ると拍手が湧く。さすが船長と讃えるのだ。

船の最終便は夜の6時台。それへ間に合うように学校を出なくてはいけない。学校は現在の道の駅の近くにあった。部活が試合前になるとギリギリまで練習をして、間に合わないことがあった。あるいは、文化祭の出し物の練習があるときは、叔父の家に泊めてもらうことにしていた。

叔父の家ではいつも囲炉裏を囲んで晩御飯を食べた。叔父の話はいつも面白かった。怖い体験談をよくした。

「昔、カカァが病気がちでの。なかなかようならんのじゃ。ある日、仏壇の戸がガタガタ音をたてるんじゃ、戸を開けたら黒い玉が飛び出して外へ出て行ったんじゃ。それからというもの、カカァの病気がようなったんじゃ。あの玉はご先祖が悪霊を祓うたんじゃろうと思う」

その話を聞いて僕はゾーっとした。

その夜、僕は表の間で寝た。それはその仏間でもあった。真っ暗な仏間。僕は仏壇の戸がガタガタしきゃよいがと気が気ではなかった。

さて、前置きが長くなった。そんな叔父の話でもうひとつ面白い話がある。

昔、僕の祖父と連れだって、夜、伝馬船イカを釣りに出かけたそうだ。場所は、現在橋が架かっている瀬戸。

「釣りよったらの、バシャンと大きな波しぶきが上がり、船の先端にドスンと大きな物体が乗ったんじゃ。何事かと思うてみると、大きな黒々とした顔が光っとるんじゃ。そして、すぐにバシャン。と飛び込んだんじゃ」

「おじさん、それナニ?」

「ありゃ、海坊主じゃろうて。昔もそんな話を聞いたことがある」

むむむ、海坊主。そんなものがこの世にいるのだろうか。

はあ!(^^)? 果たしてその正体はいかに。

 

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