鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

あついヒロシマ 祈りのナガサキ

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8月6日のきょうは広島に原爆が投下された日。8時15分はそっと手を合わせた。

18歳で就職のため広島県大野町に住んだ。宮島の対岸の町。そのころはまだアパートやマンションもほとんどなく、古い町だった。

隣近所の人のほとんどが直接や二次被ばく者だった。当時、近所の90歳のおばあちゃんに頼まれて病院などへ連れて行った。

ピカドンが落ちた次の日に市内へ入ったらほとんどが焼け野原だった。妹を探し当てて顔をみたら目にガラスが突き刺さっとったんよ。それを私が手で抜いてやったら返り血をいっぱい浴びたんよ」

そのまなまなしい言葉が今も耳に残る。

そのお婆さんもほどなくしてあの世へ旅立った。今、こうしたなまなましい記憶を語る人もほとんど旅立った。そして街並みは田畑も消えて広島のベッドタウンとなり、世界遺産宮島の玄関口として賑わいをみせる。

お盆が近くなると安芸門徒特有の色とりどりの盆灯篭に包まれる。

あついヒロシマ 祈りのナガサキが今年もやってきた。

父、最後の乗船写真

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写真を整理していたら懐かしい写真があった。2012年のときのもの。

「エビがないと鯛が釣れん。今からエビ網を曳きに行って来る」

「えらい暑いがエエんかいのう?」

「走ると涼しいんじゃ」

沖家室島では当時の最高齢現役漁師。翌年が米寿。このころから徐々に沖へ出る回数は減ってきて、認知症の症状も出ていた。

船に乗る父の写真では最後となった。この後、デイサービスセンターに通い出し徐々にショートステイへと移行。特養に入所したのが2018年。この時、父は92歳。1年半を特養で過ごし、老衰で旅立った。コロナが流行する1年前だった。

打ち込みと鯛ラバ

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最近、鯛釣りに抜群の威力を発揮するという鯛ラバってよく聞くんで、どんなもんなのかなって思ってました。それって昔からここの漁師が使うビシマの打ち込み二本鈎(ニホンカギ)の応用ですね。※島では鈎or鉤を(カギ・ハリとも読む)

一枚目は父手製の打ち込み。鈎(ハリ)も手打ちのかむろ鈎。この鈎は生エサ用では使わず疑似餌用です。ピアノ線でつくられていて、さすがの鯛も歯がたたないでしょう。これに色とりどりのスカートをはかせます。家に色とりどりのレインボウスカートがいっぱいあります。

2枚目の画像が市販の鯛ラバ。大鯛が噛んだら折れそうです。

タチション禁止

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どことは言えないけど、あるお店の駐車場に止めたところ珍しい光景に出くわした。

駐車場のそばには畑に面したちいさなあぜ道。その畑に向かってスカートをまくり上げ、お尻を突き出して用を足していた。年は60歳ころだろうか。いやー、久々に女性の立ションをみた。子どものころは近所のおばさんが海に向かって後ろに飛ばしてしているのをみて不思議に思ったもんだ。

その女性が顔を上げたとき、車の中にいる僕と目があった。そしてその女性はニコッ(*´∇`*)とほほ笑んだのである。だから僕もニッ( ˙罒˙ ;)と笑い返した。

僕が車から降りてお店に入るとその女性がいた。(なんか…ヤバイなあ)。するとその女性が声をかけてきた。

「女かと思うたら男じゃったんかねー」

お互いが大笑いとなった。

知るかバカ‼

50代半ば ゲゲゲの妖怪を訪ねた島の妖怪

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懐かしい写真をみつけた。これは10年前、みずきしげるロードを見学し、島根半島の民宿に泊まったときの一コマ。写真のあるじはワタクシではない。同行したNPOふるさと里山救援隊の代表田中照敏さんである。

妖怪ロードを歩いていて、道端の妖怪をバックに田中照敏さんの写真を撮った。それをFacebookにアップするためにポイントを顔に当てるとこなき爺の文字が浮かんだ。あゝ、やっぱりこの男は妖怪だったんだ。

写真は宿で料理をいただいたときのもの。まだ顔にシワがなく、頭も僅かだが黒い毛がある。10年前だからふたりとも50代半ば。今はふたりとも化け物である。

宿にたどり着くまでのハプニング。荒波に浸食された奇岩を横にみながら、カーナビ頼りに走った。県道から山の中を車一台通れるほどの道に迷い込んだ。これは絶対に間違いよねと話していたら、突然に鹿が現れた。デカい鹿だ。そそくさUターンをして県道へ戻った。そこに宿への案内看板があり、目的の宿は上の山ではなく下の谷だった。

谷底にポツンとある一軒家。新しい造りと古い造りの家がドッキングしていた。新しい方は金を掛けただろう造りで往時の勢いを感じさせた。山陰の海の幸満載と期待したが、それはともかく感じのいい宿だった。

大広間にはとてつもない大型ブラウン管テレビが鎮座していた。写真に収めればよかった。女将に聴くと高度成長の頃にはこの大広間が埋まるほどの宴会続きで、それは繁盛したそうだ。この巨大なテレビもカラオケで大活躍したとのこと。

そうそう、来るときに鹿をみたと言ったら、ここは「鹿谷」とも言うそうだ。

高度成長のブームは去り、今はひっそりとたたずむ。その後も繁盛していればきっとトイレも水洗にしただろう。

朝、朝食には島根らしくシジミの味噌汁があった。他も豪華なメニュー。昨晩のメニューよりも勢いがある。これに刺身があれば、イッパイ呑みたいところだ。

女将は終始笑顔だった。玄関先で別れ際「また来るからね」と言ったが、そのときすでの80歳くらいだったろうか。今、どうしてるだろう。

民宿 すぎはら

読書日記・明治維新という過ち

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【読書日記・明治維新という過ち】

長州側からすると、そげな本を読むなと言われるかもしれない。

僕は安倍総理が就任後に叫んだ言葉「戦後レジームからの脱却」に違和感があった。レジームとは体制という意味。日本が脱却しなくてはいけないのは「長州レジームからの脱却」ではないかととっさに思った。僕はそもそも反対からみるクセがある。弱者 少者 敗者。

教科書や司馬作品、大河ドラマなどによってある史観が刷り込まれてきた。維新後の史観は「薩長」の勝者の論理であり、ぼくはその逆からみてみたい。かねてそう思ってきた。だから、例えば会津からみた「維新」はどうなのか。だから会津出身の半藤一利さんなどの著書を読んだりする。

原田伊織さんのこの本、2015年初版から15刷を重ねている。読者レビューには賛否ある。風当たりが強いのも当然だろう。現在のさまざまな政治腐敗と経済の凋落は維新以降長州レジームの延長にあるからだ。そして、僕の立っているこの場こそ長州の足元なのだ。