鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

我が家のウニ漁

【我が家のウニ漁】

国産のウニ資源が枯渇し、今はチリ産ウニが主流だという記事を読んだ。

我が家のウニ漁と出荷が本格的になったのは、僕が小学5・6年生のころだった。

父がイサリで伝馬船に高く積んだウニを持ち帰り、割る→振り洗い→身を繰り出す→ゴミをとる→箱に詰める。箱詰めは主に母が行った。箸で一枚一枚つまんで並べていく。これは子どもにはやらせなかった。種類は黒・赤・紫。黒は鮮やかな黄色で身は小さい。赤は大きく寿司ネタになると聞いた。紫は黒ほど黄色が鮮やかではない。馬糞ウニもいたが、身が小さく塩漬けの瓶詰にしたがあまりとりあわなかった。北海道では馬糞は高級と聞いたが、それとは違う馬糞のようだ。名前のごとく馬の糞に似ているからその名がついたと聞いたけど、僕は馬の糞はみたことない。

加工途中に切れた身は晩の食卓にあがる。ドンブリ一杯くらいあった。酢につけたり、生をご飯に山盛りした。ミョウバンの苦みのないあの美味さは今も忘れられない。中学にあがると弁当持参だった。ウニがたくさん入った炒り卵は絶品だった。

箱詰めされたウニは、広島の市場に運ばれた。仲卸は外入(とのにゅう)のオカエー(屋号がオカエー、岡本鮮魚店)と柳原鮮魚店。どちらも沖家室ゆかりのお店だった。今はすでに廃業された。両店の子どもとは、東和中学の同級生だった。沖家室産ウニの出荷第一号は我が家だったと聞いた。市場で一番の値が付いたと店主から聞かされると、父は満面の笑みを浮かべた。

しばらくすると、他の漁家もウニの出荷をし始めた。そのお陰ですっかり資源が枯渇して、ウニ漁はやまった。

そのころだと思うが、作詞家の星野哲郎先生の特集番組があった。沖家室小学校の調理室で島の婦人クラブの皆さんが、ウニの加工にとりくもうと集まっていた。製品化されたかどうかはわからない。

ウニではよう儲けさせてもろうたと、よく父が言っていた。

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