鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

ジジイのクリぼっち

知り合いのオッサンと外でバッタリ会って

「松もっさん、クリスマスはどうへるんで」

「70手前のオッサンがクリスマスもなんもあるかいね。(ง `▽´)╯ハッハッハ!!」

そうは言いながらも、毎年ケーキだけは買うちょる。

そういえば、ひとりぼっちのクリスマスを「クリぼっち」というらしい。知らんけど。

父と岩ガキの思い出

牡蠣殻の山をみていると、父を思い出した。

磯から岩ガキをいっぱい採ってきたものの、殻がいっそ開かん。蒸しても開かん。ならばもっと火を通すしてコジ開けたら、なんと親指ほどしかない。クソっと思い、シンクの横にブチ投げとったら父がやってきた。

「ワシが開けちゃろう」

家に持ち帰り一時間後むき身をもってきた。なんとさすがは漁師。

持ってきたむき身は、殻の大きさの三分の一もない。山も川もない島は栄養塩が少ないので、貝類は図体だけはデカい。むき身を頬張ると思わず声が出た。

「うまい」

あれから数十年。まさか自分が牡蠣屋になろうとは思ってもみなかった。

花火は望遠で撮らないで

花火ファンの僕は全国の有名な花火映像コレクションがある。やはり圧巻は長岡。好きなのは自宅の目の前であがる宮島花火。

最近はYouTubeの画質も4kが観られるなどで、DVDを買うことはなくなった。

宮島花火の圧巻はフィナーレのスターマイン。これは連続打ち上げ花火。破裂した花火が消えないまま次々と打ちあがるから、夜空全体を焦がすさまはあとず去りするほどの迫力。さらに海面で破裂する水中花火とのコンビネーションはまるで巨大なヒマワリを無数に散りばめたような美しさ。そこに大鳥居のシルエットが浮かび上がるのだ。これは現地でないと観られない。

そこで、YouTubeだけど多くはアマチュアカメラマン。いいところでガクンとくる場面がある。尺玉があがると、航跡を追いかけ望遠に切り替える。あ~~、またやっちまったか。迫りたいのはわかるけど、そこはぐっとコラえてむしろ引いて全景を撮ってほしいのだ。

16日には周防大島花火大会があった。行きたかったけども、あの人の多さは怖い。でもFacebookYouTubeでアップしているのが見られてありがたい。圧巻はやはりフィナーレのスターマイン。でも…ここでも大輪があがったところでほとんどがアップしている。迫りたい気持ちはわかるけど、そこはグッとこらえて。

花火コレクションはさすがプロカメラマン。台船の花火師が映るくらいまで迫り、発射と同時にレンズを引き全体を映す。これぞ望遠のだいご味。花火師も喜んでいるはず。

花火は台船から放たれたときからがドラマの始まりなのだから。

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我が家のウニ漁

【我が家のウニ漁】

国産のウニ資源が枯渇し、今はチリ産ウニが主流だという記事を読んだ。

我が家のウニ漁と出荷が本格的になったのは、僕が小学5・6年生のころだった。

父がイサリで伝馬船に高く積んだウニを持ち帰り、割る→振り洗い→身を繰り出す→ゴミをとる→箱に詰める。箱詰めは主に母が行った。箸で一枚一枚つまんで並べていく。これは子どもにはやらせなかった。種類は黒・赤・紫。黒は鮮やかな黄色で身は小さい。赤は大きく寿司ネタになると聞いた。紫は黒ほど黄色が鮮やかではない。馬糞ウニもいたが、身が小さく塩漬けの瓶詰にしたがあまりとりあわなかった。北海道では馬糞は高級と聞いたが、それとは違う馬糞のようだ。名前のごとく馬の糞に似ているからその名がついたと聞いたけど、僕は馬の糞はみたことない。

加工途中に切れた身は晩の食卓にあがる。ドンブリ一杯くらいあった。酢につけたり、生をご飯に山盛りした。ミョウバンの苦みのないあの美味さは今も忘れられない。中学にあがると弁当持参だった。ウニがたくさん入った炒り卵は絶品だった。

箱詰めされたウニは、広島の市場に運ばれた。仲卸は外入(とのにゅう)のオカエー(屋号がオカエー、岡本鮮魚店)と柳原鮮魚店。どちらも沖家室ゆかりのお店だった。今はすでに廃業された。両店の子どもとは、東和中学の同級生だった。沖家室産ウニの出荷第一号は我が家だったと聞いた。市場で一番の値が付いたと店主から聞かされると、父は満面の笑みを浮かべた。

しばらくすると、他の漁家もウニの出荷をし始めた。そのお陰ですっかり資源が枯渇して、ウニ漁はやまった。

そのころだと思うが、作詞家の星野哲郎先生の特集番組があった。沖家室小学校の調理室で島の婦人クラブの皆さんが、ウニの加工にとりくもうと集まっていた。製品化されたかどうかはわからない。

ウニではよう儲けさせてもろうたと、よく父が言っていた。

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美保関 えびす様の総本宮

島根県の境港を通り過ぎると島根半島があり、その先端に美保関灯台があります。絶景ポイントで、僕はこの景色が好きで過去4回行きました。

途中、小さな漁港があります。美保関漁港。そのひなびたたたずまいは、漁港ファンにとってはたまりません。でも一度も訪ねてはいませんでした。

YouTubeを観ていたらこの美保関が紹介されていました。なんとここの美保神社がえびす様の総本宮なんだそうです。

えびす様は七福神の中で唯一の日本の神様で、他はインドの神様です。わかりやすいのはインド由来の神様は天竺の天が付いています。例えばフーテンの寅さんでおなじみの帝釈天・大黒天・弁財天など。

えびす様はさまざまな漢字が当てられています。夷、戎、胡、蛭子、蝦夷、恵比須、恵比寿、恵美須、恵美寿。これは中央政府が地方を指して使う言葉と被るんだそうです。例えば現在の北海道は蝦夷というように。

その中のひとつ、蛭子神。これもヒルコと書いてエビスと読みます。沖家室の蛭子神社がこれにあたります。古事記などにある「蛭子伝説」によれば、日本最古の神とされる伊邪那岐命伊邪那美命(いざなぎのみこと、いざなみのみこと)夫妻は、初めての子が生まれつき体が異常に柔らかかったので、蛭のような子「ひるこ」と名付ました。そして、葦の舟に乗せて黄泉の国に送り再び丈夫な子になって帰っておいでと流しました。その辿り着いたところが蛭子神として祭られました。

こうしたいわば魔除けとして知られるのは、豊臣秀吉淀君の間に生まれた子は鶴松。幼少のころは捨丸(ひろいまる)と呼ばれました。次の子は棄丸(すてまる)、のちの秀頼です。とかく権力者は狙われやすいですから、「この子はウチの子じゃない、拾ったのだ」と。(ง `▽´)╯ハッハッハ!!

最初の子は悪魔にさらわれないように大事に育てた名残でもあるのでしょう。昔、ウィッシュというミュージシャンが唄ってヒットした「六月の子守唄」がありましたね。

星がひとつ空から落ちてきた

六月の子守唄を唄う母のもとへ

さわるとすぐに こわれそう

ガラスのような おまえだから

風が悪させぬように

悪魔がさらっていかぬよう

そしてお前が目をさましたならば

私がはじめにみえるよう

そういえばここには小泉八雲記念公園があるんですねえ。八雲もこよなく愛した美保関町。いつかゆっくり泊まって歩きたいと思います。

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高市大臣VS栗山監督にみる上司の鑑

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高市大臣VS栗山監督にみる上司の鑑】

野球のことなんかナンノコッチャ、というくらいわからん僕でも村上選手のサヨナラヒットはコブシを振り上げた。2塁1塁の選手が走り抜け、二人目がホームベースを踏んだ瞬間球場はちゃぶ台をひっくり返したほどの大騒ぎ。

さあ、今朝のテレビのトップはこのWBC。かたや新聞紙面トップ記事はすべて岸田総理のウクライナ電撃訪問。ナンジャコリャ、この扱いは少々気の毒でもある。

まあそれはそれとして、あの場面をつくった村上選手は実のところ成績は振るわなかったなかったそうだ。そこへあの場面で起用する栗山監督。今朝のラジオ番組に出演をしていたがんばれタブチくん、栗山さんを大絶賛。1回戦から初番は寝ててもいい。終盤が監督の出番だ、というようなことを言った。村上選手を信頼しきった監督の度量。打て村上、お前なら出来る。行け、決勝に連れて行ってくれ。そしてついに村上・村神様まで押し上げたのだ。村上選手が仲間に囲まれて雄たけびを挙げた。こちらまでもらい泣きをしてしまった。

そして今日、投手大谷が最後の最後に力でねじ伏せて日本が世界王者に輝いた。

さあ、国会である。岸田総理が帰国して参院集中審議が始まる。野党が高市大臣に集中砲火を浴びせるだろう。

このタイミングだから高市大臣と栗山監督を比べてみるといい。

高市大臣は全部部下に責任を擦り付け、挙句は捏造と部下を犯人扱いにまでした。大臣が予算委員会を引き上げる時に委員長が「お待ちください」と引き止め、大説教。国会で委員長が大臣を叱る。こういう場面を僕はは初めて見た。

かたや栗山監督はどうか。最後まで選手を信じ続けて結果を出した。

上司としての鑑はどちらだろう。

誰の目にも明らかだ。

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周防大島の正式名は果たして屋代島なのか

国道から見た大多麻根神社(おおたまねじんじゃ)・周防大島最古の神社

周防大島の異名・屋代島】

周防大島の正式名称は「屋代島」である、という表記をよく見かける。果たしてそうだろうか。いつも疑問に思っていることだ。国土地理院では確かに正式名称としてヤシロジマとあるけど、その根拠は示されていない。なにより古くは正倉院からは「大島郡」として税が納付された記録も残されている。行政単位として、屋代島という名はない。

周防大島の中に屋代という字(あざ)があるからという人もいるけど、なぜそれが屋代島なのかとこれも根拠に乏しい。かつて荘園制だった時代は屋代荘・安下荘・島末荘があったから、屋代だけが正式島名というのも不自然である。

歴史上で一番古く「大島」の名が登場するのは古事記。日本神話に登場するイザナミノミコトが生んだ島の三番目が大島。ここにも屋代島の名前などない。屋代島という異名はのちに登場したのではないか。

古事記では大島を別名・大多麻流別(おおたまるわけ)と書かれてある。祭神として大多麻流別命(おおたまるわけのみこと)が大多満根神社に祭られている。大島大橋にほど近い丘にあり、周防大島最古の神社である。つまり神代の時代から「大島」なのである。国土地理院がなぜに正式名称を「屋代島」としたのか、どうも不可解。

全国各地に屋代という地名は多数ある。由来も多数。

さて、どこから紐解くか。それはやはり出雲の地ではないかと考える。周防大島出雲族が開いたと言われている。出雲から武蔵の国(横浜あたり)に渡り、朝廷からの命で周防大島に渡ってきた。そのためか、地名も出雲や武蔵にちなんだ名が残されている。

例えば

・旧大島町「横見」ー武蔵国横見郡

・旧「橘」町ー武蔵国橘樹郡

・美蒲(みがま)神社→御鴨の意味か?

・安高神社→アタカ→アダカエ(東出雲町の出雲郷はアタカエと読む)

松江市立出雲郷小学校(あだかえ小学校)

・嵩山(だけさん)→松江市に同名の神名火山(かんなびやま)がある。

・大見山→出雲市に、意保美(オホミ)小川と意保美神社

周防大島のミュージシャン・マウンテンマウスのマーシーのおじいちゃんは出雲の出身で、住んでいたところに嵩山があったという。

・沖家室島に伝わる「鰐地蔵」の伝説も、由来は出雲である。出雲の伝説「因幡の白兎」では鰐(フカ)に身ぐるみ剝がされたウサギが大国主命に助けられるが、沖家室では鰐(フカ)が神の化身となって溺れかかった少女を助ける。

屋代という地名も出雲にある。つまり、屋代は出雲から伝わってきたのではないか。

そのあたりをこれから探ってみようと思う。

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