鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

77年目の対馬丸

77年前、終戦前年の1944年に起きた疎開船「対馬丸」の悲劇。

沖縄から本土長崎へ向けて1788人の子どもたちを乗せて那覇港を出航。その護衛に日本軍の戦艦が着きました。その途中にアメリカの潜水艦から発射された魚雷を受け沈没。多くの子どもたちが海に流されて漂流。護衛艦は魚雷を避けるため去ったと言います。

犠牲者数は1484人。このうち800人近くは子ども。ただ、全容はいまだわからないと言います。

僕がこの映画を観たのは26歳とき。たまたまお盆の帰省中にNHKで放送されて、他の用事はほっぽらかして見入っていました。

先生たち大人が子どもたちを海に投げ出すシーンや、イカダにつかまりながら寒いと言って沈んでいく子どもたちの姿は今も胸が潰れる思いがします。命からがらに助かった子どもたちも憲兵からかん口令が敷かれます。「しゃべったら銃殺だ」。

沖縄ではきょう、慰霊祭が行われます。

www.okinawatimes.co.jp

俵万智さん サラダ記念日

迢空賞=ちょうくうしょう

俵万智さん、歌壇の最高峰にという記事が出た。贈られた賞が迢空賞(ちょうくうしょう)。歌壇の世界はよく知らないが、俵万智さんのサラダ記念日くらいはわかる。パッと振り返ると万智さんだった。そんな感じの人だ。なんちって勝手に想像する。(ง `▽´)╯ハッハッハ!!。\( ᐙ )/コケッ

迢空賞というのは初めて知った。しかも読み方も知らなかった。ネットでチコっと調べてみると、日本の歌人民俗学者・国文学者の釈迢空(しゃく ちょうくう)折口信夫にちなんで設けられた短歌の賞という。

折口信夫なら、民俗学をかじったものなら知らない人はいないだろう。南方熊楠柳田國男と並ぶ日本の民俗学の草分けであり、大家である。宮本常一はそれから20年くらいして登場する。

やー、知らんことばっかりじゃ。まずはおめでとうございます。現在は宮崎市にお住まいだとか。

南方熊楠1867年5月18日(慶応3年)- 1941年(昭和16年)12月29日)

柳田國男1875年〈明治8年〉7月31日 - 1962年〈昭和37年〉8月8日)

折口信夫1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日

www.asahi.com

2021年 お盆

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つかの間の晴れ間に実家へ行き、盆棚を飾りました。精霊棚はいつもは軒下に出すんですけど、雨なのでウチの中へ。

仏壇の盆飾りも質素にて。お供えを忘れたので、怒られるかも。ブツゾ~~って!(^^;)!。

今頃両親はケンカしながらこの世へ向かっているでしょう。

大島郡の変遷

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大島郡各村町の変遷です。面白いです。ちょっと保存版かな。

明治は村に細分化されていましたが、大正昭和の初めになると四つに集約されています。久賀は早い時期に町政を敷いています。やはり安下庄と久賀は藩の直轄地だったから別格だったのでしょう。戦後に大島町久賀町・橘町・東和町の四町になります。

家室西方村は下田・外入・伊崎・地家室・佐連・沖家室・小積・大積が含まれます。家室(沖家室・地家室・佐連・大小積)地区と、西方(下田・長崎)地区が一緒になったものでしょう。かつて庄園時代の島末庄が一緒になって東和町となったようです。

江戸時代は現在の柳井市遠崎も大島郡に含まれていました。

という解釈でいいのかな!(^^)?

パンケーキを毒見する Ψ(`▽´)Ψウケケ

 

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【パンケーキを毒見する】

炊飯器でつくると簡単です!(^^😉!

まずは蜂蜜

次はバター。オッサン的にはバターがいいです。

オーブンで少し焼いてやると表面がカリっとしてこりゃまたいいです。

豆茶 はぶ茶 ケツメイシ

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月に一度くらいの割合で帰省する隣のオジサンの空き地。豆茶を植えていました(はぶ茶/えびす草)。実を収穫してもそれほどの量ではないでしょうけど、オジサンひとり分なら十分でしょう。それでも実を取り出し、乾燥させて炒るのは結構たいへんな作業です。

かつてはどこでもみられた光景です。地元の人は秋になると放置された空き地に自生した豆茶を収穫に行きます。

「きょうはノラバエ(野良生え)をとんに行こうかのう」

そろそろ花をつけています。

シッタカ(尻高)

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シッタカ(尻高)。この手のニシでは一番おいしいと個人的には思います。

最近は一年に一度入るかどうか、貴重となりました。