鯛の里日記

周防大島町沖家室島の民泊体験施設・居酒屋の日常と、宮本民俗学の学びを書きます。

杉乃井ホテル 朝食バイキング

杉乃井ホテルのモーニングバイキング。その日は修学旅行生も入っていて、生徒たちはほぼ食べ終わったようでもごった返していた。

ご飯が用意されたレーンは列をなしていたが、どうもすすまない。どうやら先頭の80歳近い老人がもたついているようだ。ご飯にするか、みそ汁にするか漬物にするかと手先が迷っている。ご飯のつぎ方も要領を得ない。内側にいるスタッフがみかねて手助けを始めた。後にならぶ客にもスタッフがご飯やみそ汁をよそって渡し始めた。

先頭の爺さんが最終コーナーに差し掛かり、トッピングのネギやワカメをトングでよそおい始めた。ワカメは半渇きタイプ。その爺さんがつまんだワカメの量が半端ではなかった。お椀に盛り上げる量だった。ふやけたら恐らく3倍には膨れ上がるだろう。よほど後ろから「多いですよ」と声をかけたくなったが、すでにお椀に放り込んだあとだった。

父をふと思い出した。僕の母が病弱で、家事の多くを父が行った。そのため、家事はほとんどこなす。ところが叔父はまったく何もしない人だった。お茶・新聞・飯は黙っても出てくるもの。まさに大正生まれの親父である。

先の爺さんも戦前生まれの高度成長をくぐった世代。恐らくお茶・新聞・飯は黙っていても出たのだろう。後ろには若い女性がいたが、どうやら娘でも孫でもなさそうだ。

僕が生まれたのは戦後わずか10年を経過した、まさにそうした家父長制の色が濃い時代だった。いくらかそうした感覚を今も引きずっている。あと十数年もするとその爺さんと同じ世代となる。

岩国にある有名なバイキングランチへ父を連れて行った。トレイを片手に料理を取り分けるが、トレイを持つ手がおろそかになったのだろう。傾いたトレイから皿がずり落ちて、散乱した。いずれにしても、バイキング形式は高齢者には向かない。

 

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マツイカの思い出

小学4年生のころだった。島周辺にイカが群れていた。

放課後、家に帰ると叔父の船に乗ってイカ釣りに出た。松の下(トンネルの沖)で入れ食いだった。釣り上げるとブシューっと潮を吹き、叔父の顔を襲った。ヘソが千切れるほど笑った。

そのイカをマツイカと言った。今でいうと、スルメイカもしくはマイカ。旨いイカではなかった。煮るとかたい。刺身はまあ旨かったが、水イカ(ケンサキ)や甲イカには劣った。そのころはモイカアオリイカ)はそれほどいなかった。

母がよく大根と煮たが、ゴロゴロのワタの付いた身は好きではなかった。

これは一夜干しにしたもので、炙ってみた。マヨ醤油と七味でアタリメにした。今、食べてみると絶品だ。

思えばまったく贅沢な時を過ごしたもんだと、つくづく思う。

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常栄寺 雪舟庭園

 

 

山口市内の用事が終わり、雪舟庭園へ行きました。

いやー、行ってみる価値はありますね。

地元のオジサンやおばさんのボランティアかな? 掃除をしたり草を刈ったりしながら、目が遭うとニコッと笑ってあいさつします。まるで島のおばあちゃんみたいで、温かさが伝わってきます。

雪舟と言えばネズミの絵。好きな絵ばかり描いていたから、師匠がバツとして柱に縛り付けました。哀しい雪舟は涙で足を使ってネズミを描きました。それを見た師匠がシッシと追い払ったところ、それは絵だったという伝説があります。あるいは、ネズミが絵から飛び出して雪舟の縄を齧ってほどいたという話もあります。それほど絵が上手だったと言う話。これは岡山県の宝福寺でのお話し。当時の柱はお寺が火事で焼失したそうです。

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地元ロケ 「凪の島」

買い物がてらちょっと足を延ばして下松のMOVIX周南へ。

「凪の島」

いい映画だった。おすすめ。

月曜日なのに人の多いこと。夏休みも終わりということもあるのだろう、子ども連れが多かった。お目当てはアニメ。

「凪の島」は、館内一番大きな劇場。入るとほぼ埋まっている。といってもコロナ対策で席はひとつ空けて座るので、満杯だとしても席数の半分。だけど、僕の経験では最高の入数ではないか。しかもほとんど年配者。

この映画のロケは地元である下松市の笠戸島や柳井。そういうことだ。MOVIX周南のあるゆめタウンはこの下松にあり、笠戸島もほど近い。柳井も車で1時間もかからない。ほとんど地元の人だろう。

ネタにはあえて触れない。約1時間半の映画だけど、中だるみはまったくなかった。子役の演技が光る。脇をかためるベテラン俳優の演技はさすがに唸る。島が舞台なので、場面のほとんどが海辺。島っ子という設定なので、とにかくく子どもも大人も海へ飛び込む。

監督も山口県出身で、主役の新津ちせの母親も県出身。主題歌をつくったKitriの祖父母も県に住んでいたという。映像からも山口県への深い思いが伝わってきた。

夏の終わりを飾るいい映画だった。ヘタなネタバレをするより、公式サイトをご覧いただきたい。

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nagishima.com

船と船の間を巨大魚がジャンプした

warnerbros.co.jp

たまたま目にとまった映画がおもしろそうなので、つい見入ってしまった映画「メグ ザ モンスター」。途中で過去に観た映画に気付いたが最後まで観てしまった!(^^;)!。

巨大サメとダイバーが格闘する、いわば何の教訓もないパニック映画だけど特撮がスゴイ。古代にいた巨大サメが実は人類がまだ未知の海域、フィリピン海溝のもっと下に存在をしていたという設定。大きさは20メートル以上。地球上の最大の生命体シロナガスクジラのクラス。

まあ、それはいいんですけど。小さいころを思い出した。小学生のころの夏休み、父に連れられて漁について行っていた。

大水無瀬島と小水無瀬島の間に10パイくらいの船が潮に向かって横一列に船をつなぐ。場所は割りばしに番号を書いたくじ引きで決める。ウチの船はいつも僕が引いていた。「子どものほうがマンがえかろう」と。マンとはくじ運のこと。だいたいいいクジを引いて、中央に陣取った。

狙いはハマチ。とはいえ10キロクラスだから子どもにとっては綱引き。針を外すときだけは父がする。尻尾で胸をはじかれたら間違いなく肋骨が折れる。父が股にハマチをはさんで針を外す。股間をはじかれたときは笑ろた。

潮が止まるとどの船も一休み。寝る人もいれば、機械場の上でいっぱい呑む人もいた。僕は退屈なので、海をのぞいていた。なんにもみえないけど、ワクワクした。すると父が叫ぶ。

「のぞくな。影を追ってガブっとやられるど」

まさか、と思いながら顔をひっこめた。過去にそんな話は聞いたことないが、ありえそうだと思った。ここはサメの多い海域。隣の船との間に巨大なサメがジャンプしたことがあった。イルカかもしれない。隣はキヒデのオッサンだったと思うが、呑んでいた一升瓶がガチャんと割れる音を覚えている。

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怪奇十三夜

僕は怪談が大好きで、特に夏になると観たくなる。

小学生のころだったか、お盆前にシリーズで「怪奇十三夜」が放送された。これを観るために、昼寝をしていたくらいだ。すべてが時代劇で、いわゆるヒュ~ドンドン ウ~ラメシヤ~~の世界。顔はただれて髪はうなだれ、手は前に垂れるあの独特のポーズ。最後は祟られて、もがき苦しんであの世へいくのだ。幽霊は女性で、夫の女性問題と相場が決まっているようだ。

その「怪奇13夜」全巻を持っている。そのほか、四谷怪談や番町皿屋敷などの名盤も揃う。

民泊修学旅行生が泊まったとき、平積みになった怪談DVDを観たいという。寝られんようになるぞと警告をするのだが、言えば言うほど観たくなるのが人のサガ。なので怪奇十三夜、これをすすめるが目もくれない。1位は「トイレの花子さん」、2位は「貞子」。

観終わったあと、蚊帳の中で寝た子が深夜に奇怪な現象に遭ったという。目を覚ますと蚊帳が揺れていて、その向こうをみるとおかっぱ頭の少女が座っていて首を振っていたそうだ。慌てて布団に潜り込んだ。朝、ひきつった顔で話してくれた。「だから言っただろう? 夜中に怖い目に遭うぞって」。

おっと、話がそれてしまった。怪談ナイトでお馴染の稲川淳二さんがコロナに感染したそうだ。おりしも全国ライブの真っただ中。向こう数公演の見送りが発表された。

9月24日の下関公演までには回復を願う。

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福田晴子著「宮本常一の旅学ー観文研の旅人たち」

福田晴子さんの著書「宮本常一の旅学―観文研の旅人たち」

やあ、嬉しいです。福田さんが周防大島へ最初に訪れたのは2014年10月4日、周防大島郷土大学で福本卓雄さんが講義をしたその日だった。あれから8年、当時から温めていた構想がようやく結実した。

1966年(昭和41年)、近畿日本ツーリストに設けられた旅研究の場「日本観光文化研究所(観文研)」が創設された。初代所長をつとめたのが宮本常一先生。先生の元に、なかばアウトローな旅好きの若者が集まった。

著者福田晴子さんは、観文研について次のように記している(帯)。

宮本常一のもと、「旅して学ぶ」という社会実験が「日本観光文化研究所(観文研)」で行われた。観文研には社会からはみ出して貧乏旅行を繰り返す若い人々が、類は友を呼ぶように、水が流れ込むようにして集まってきた。宮本は、その若者たちに幾らかの金と居場所を与えそして「さあ存分に歩け」と野に放ったのである。

さあ、これから読むのであるがこの本に登場する若き旅人たち。今は大方が70代となった。戦後の日本の民俗学会をリードした人ばかりだ。実は僕もこの先生方に多くのことを学んだ。いわば師匠なのだ。

まあ、それはオイオイ書くとして福田さんが周防大島に訪れたのは早稲田大学在学中に修士論文書くための調査だった。

その調査になにかしら役にたっていれば幸いなのだが、なにせ当日の講師が福本さんである。単なる勉強会で終わるはずがない。案の定講演後は大宴会となったのである。場所は沖家室の泊清寺離れ「くんさん荘」。福本自然農園がつくる米で仕込まれた澄川酒造の銘酒「環起」が並んだ。各地から訪れた人や地元の者と、夜を徹しての大交流会となったのである。あまり書くと差しさわりが出そうなのでこの辺とするが、またこのような楽しい交流会をしたいものだ。

さてさて、立派な本に仕上がった。監修が宮本千晴さんというのもスゴイ。監修者としてコメントをよせているが、まるで娘を世に出すような心情が伝わってきてあったかい。そして、本文には僕の名前も登場する。やあ、うれしいな。

Amazonでも扱われていますが、ご本人からはぜひ書店でお買い求めをとの希望。おすすめです。

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